どうしてこのような作品ができたのか、非常に不思議な作品である。1958年3月、東宝の傍系会社だった連合映画で製作されたもので、脚本・監督は渡辺邦男、主人公は池部良と安西響子、山口淑子、作品はすべてカンボジアのプノンペンとアンコールワットが舞台になっている。
戦中期のエキゾシズム映画と同じと言っても、特にこの時期にカンボジアとの友好をテーマにする意義があったとは思えない。
政治的には、この時期はシアヌークが政治的実権を持っていた時代で、特にそれを賛美する必要も日本側にあったとは思えないが。
プノンペンに、池部と田中春男が来て、いろいろと騒動を起こす。そのカンボジア人は、上は王女の侍従の東野英治郎から山口淑子、車曳きの田崎潤、坊屋三郎から、政府高官の山田巳之吉に至るまですべて黒塗りの日本の俳優。
国王は、中国人役者のようだが、日本語をしゃべるという凄さ。
ともかく全員が日本語をきちんと話すのだから凄い。もっとも、熊井啓の大作『天平の甍』でも、鑑真和上が日本語で経典を解説するのだから、同じようなものか。
物語はどうでも良いようなもので、池部は戦時中にカンボジアに駐在し、幼い王女を助けたことがあり、彼女はどうしているのか尋ねに来たのだが、それは自分の身分を隠して市井の実情を観察していた王女安西と会い、一緒にアンコールに行く。
そして、安西の王女は、国民に大変な人気で、これは現在の皇后陛下の美智子様のことの寓意かと思ったが、美智子様と皇太子の婚約が発表されたのは、この年の11月で、そうでもないのだ。
結局、最後まで製作意図は分からずに終わるが、斎藤一郎の音楽はきちんとカンボジアのものを使っていた。
阿佐ヶ谷ラピュタ