『君は山口高志を見たか』  鎮勝也 講談社

見たよ、1971年11月に神宮第二球場で。

当時は、私は留年6年目の最終年で、授業は二時間くらいで終わりだったので、午後は大抵は渋谷のジャズ喫茶にいた。

百軒店のスイングかありんこだったが、スイングはスポーツ新聞があったので、ここによくいた。

「山口、またしても二桁奪三振、ノーヒット・ノーラン」等の記事が出ていて、是非見てみたいと思っていたが、関西大学なので無理。

明治神宮大会に出るというので、見に行くと相手は四国リーグの香川大学だった。

国立大学でも、四国は野球の盛んなところなので、それなりに強いだろうと思っていたが・・・。

1回は誰も当てられない。3人全員三振、2回に4番打者がやっとバットに当てたが、セカンドゴロ。

               

ともかく速い、400勝の金田正一も「村田兆治よりも山口の方が速かった」と言っているのだから間違いないだろう。

だが、彼はドラフトでヤクルトから4位指名を受けるが予定通りプロに入らず、ノンプロの松下電器に入る。身長169センチでは到底無理と自分で決めていたからだとのこと。

だが翌年の都市対抗野球で活躍し、キューバ遠征にも行き、世界でも十分に通用することが自分でも分かってドラフト指名を受けることを決める。

キューバから帰国して阪急に1位指名されたことを知り、もちろん入る。

ある時、地方球場でゲームがあり、地面よりも低くなったところから球団職員が見ていると、投げる腕が見えなかったことがあったそうだ。

腕の回転の速さが速すぎたので、「投げていないのかな」と思うと球審のコールがあるので、「やっているのか」と驚いたそうだ。

阪急での活躍は、1976年の巨人との日本シリーズがピークだった。

同時に、この日本シリーズは、阪急の悲願の巨人を倒しての優勝で、3勝3敗に追い込まれた7戦目、山田、山口が打ち込まれた後、足立が先発し、巨人を抑えて優勝になる。

この時の足立も、本当に素晴らしかった。かつての南海の杉浦のような威力のある球で巨人を抑えたのである。

山口は、1978年のヤクルトとの日本シリーズ前のゴルフ・コンペの会場で、足を階段で踏み外して腰を痛めてしまう。

長年の相当に無理のあるフォームで投げてきたことの筋肉の疲労の結果だった。

そして以後治らず、1982年に引退、プロ8年間で50勝だったが、まさしく記憶に残る選手だったと思う。

中に写真が載っているが、阪神の藤浪の肩にまでない169センチだった。

阪神では、藤川球児を育て、福原も復活させているのだから、投手コーチとしても素晴らしい実績をあげている。

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