昔、ビデオで見たと思うが、1955年の新東宝映画、監督は松林宗恵で、脚本は実際に海軍予備飛行生だった須崎勝彌なので、非常にきちんとできている。
昭和19年末に、人間魚雷が使用されることになり、乗込むのは、大学生上がりの、岡田英治、木村功、宇津井健、沼田曜一らで、彼らは正規の軍人である高橋昌也からは、「学生上がりは、娑婆っ気が抜けていない」とバカにされ、鉄拳制裁される。
この「娑婆っ気」というのは、如何に日本の陸海軍が世間と隔絶した非人間的な異常な世界だったかを良く現している。
市民社会とは別に軍隊を作った日本軍の間違いの最たるものの一つだと思う。
実は、宇津井は、二度出撃したのだが、その度にエンジンが動かずに戻って来ていて、「腰抜け」呼ばわりされている。
そして、最後伊沢一郎の艦長の潜水艦に乗りこみ、南方の戦線に行き、まず沼田曜一が、輸送船を撃沈し、木村、宇津井も戦艦と航空母艦を鎮めることができる。
だが、岡田英治の艦は、潜望鏡から浸水して潜航できず、海底に沈んでしまう。
そして、岡田は貸与された短剣で掘る。昭和19年12月12日 われ未だ生存セリと。
岡田は研究者で、カントのドイツ語書を持っているなどは、少々嫌味だが。
三島由紀夫に言わせれば、こうした「わだつみ」的学生は、人間のクズだそうだが、自分は一体どうだったのだろうか。
自分が、戦争に行っていなという三島の意識は、戦後次第に強くなり、最後の腹切りにまで行ってしまったというのが私の考えだが。
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