1948年10月に東宝から公開された清水宏監督作品。
蜂の巣プロという清水の自作プロだが、スタッフは音楽が伊藤宣二、助監督が後に、東宝の怪獣映画の脚本、さらに作詞家になった関沢新一など。
敗戦直後の混乱した下関駅、復員兵の島村俊作が降りてきて、駅周辺に屯する戦災孤児と知り合う。彼らは、駅の周辺であらゆる手段で生きている連中、上には片足の男がいて、大人の女も仲間にされている。
島村自身も孤児で、子供たちと一緒に、まず岩国に行き、木材運搬作業で働き、広島と行き、一度四国に渡る。
当時、復員兵には、鉄道が無料だったようだが、子供がどうやって移動できたのかは不明。
ここでは、サイパン島にいて、母を亡くした子が死ぬが、死因は栄養失調とのこと。
彼らの服装はボロボロで、信じられないほどの貧しさである。
ある町で、野球をしている子供を見て、試合をしようと行くと、彼らは皆逃げて行ってしまうと、島村は言う。
「怖かったのさ」 浮浪者のような連中が怖かったのだろう。
さらに、神戸に行く。そこでは片足の男が、娼婦のボスをやっていて、東京に行くと広島で別れた女も娼婦にされるところだった。
最後、全員は島村が卒業した「みかえりの塔」に行き、大歓迎を受けて終わる。
全員が素人で、記録映画のような撮り方は、後の羽仁進の傑作『不良少年』『午前中の時間割』、さらに東陽一の『サード』の先駆でもあるだろう。
清水宏は、西河克己によれば、「世の中にこれほど下のものにえばる人間がいるのか」と思えたほど傲慢な人間で、その性で松竹もクビになってしまう。
要は、ガキ大将が大人になったような人間で、幼児性の強い人だったのだろう。
広島、神戸などの敗戦直後の廃墟の模様の映像も貴重である。
神保町シアター
コメント
オジキと言う男、無理矢理連れてこられたのか、あるいは勝手に付いてきたものか、ともかくみかえりの塔までやってきた.
彼は、子供たちから遅れて来たので、子供が一人、彼の所へ迎えに行った.
歌声にまみれて分りにくいけど、この時子供はオジキにこう言って居るのです.
『元気出せよ』
戦争で傷ついた子供たちを、大人が励まして正しい道へ導いて行かなければならないはずだ.
けれども現実は全く正反対だった.大人が人を騙すことを教え、闇屋の手先に使い、子供たちの心を傷つけている.
現実が逆ならば、逆に描いてやろう.
子供が主役なのだけど、子供に上手い演技をさせるのではなくて、一人はデパートガールの女の子、今一人は駅員の青年、特別演技の下手な男女を見つけて準主役に選んだ.
そして最後は、先に書いたとおり、子供が大人を励まして終わる.
ヴィットリオ・デ・シーカの『靴みがき』
ロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』
いずれも子供たちの人権擁護を訴えた作品ですが、この映画も負けてはいない作品だと思います.