元自民党の武藤貴也が、現在の若者の安保法制反対の運動には「戦後の利己主義の極端な結果がある」というような事をいったそうだ。
だが、これはまったくの間違いである。アメリカの占領、さらに新憲法の制定によって「利己主義」が日本に広まったということはない。
彼が批難する利己主義の元と思われる「アメリカニズムやモダニズム」は、戦後ではなく、昭和初期の戦前にすでに日本の大都市では多く広がっていて都市の市民に受け入れられていたのである。当時、満州事変以後の好景気を背景に、ダンスホール、ジャズ、トーキー映画、洋食と洋装、西欧式アパート、自動車、麻雀、競馬などが氾濫していた。当時になかったものと言えば、テレビとPCくらいで、すべて出そろっていたのだ。
歴史でも習ったはずの、モボ、モガの時代であり、男女の交友関係の事件、スキャンダルも様々にあった。
小津安二郎映画で見れば、田中絹代主演の『非常線の女』を見れば、すぐにわかることである。
だから、戦後の問題作『東京暮色』で描かれた原節子、有馬稲子の母親役の山田五十鈴は、そうした当時の奔放な女性として想定されている。
そして、最後に自殺してしまった有馬稲子の葬式の後に、山田の雀荘に来て原節子が言う、
「秋ちゃんが死んだのは、お母さんのせいです!」の批難の意味はなんだろうか。
それは、戦前のモダニズムが、戦後の「太陽族」に象徴される性的混乱の遠因であり、小津自身も、その側にいたとのことの自己批判なのである。
武藤貴也は、およそ歴史と物を知らない馬鹿者だというしかない。