「火事場の馬鹿力」  関東・東北水害について考えること

先週起きた北関東と東北の水害は、まことに大変なもので、災害にあわれた方々には、謹んでお見舞いを申し上げる。

私が体験した最大の水害は、1958年、昭和33年9月の狩野川台風だった。

小学校4年生で、大田区池上だが、朝から豪雨が続き、学校はもちろん休校、池上の一部には呑川よりも低い地域があり、すぐに床上浸水になっていたのですぐに休校になっていた。その豪雨は、午後になっても降りやまなかった。

そして、夕方になって呑川が氾濫してあふれ出し、道路も川のように水が流れはじめた。

当時、父は馬込の小学校校長で家にはおらず、母と5人の子供が家にいた。

8時ごろついに、床下浸水になり、風もあって玄関の戸が水流に流されてしまった。「ここで大風が吹けば家が壊れる」と、母は狂ったように濁流の中を飛び出して行き、大学1年生の兄も続いた。

そして二人は、すぐにクズ餅屋・池田屋の前で戸板を掴み持ってきて玄関に何とかはめ込んだ。

それも大きなことだったが、水はさらに増えて、床上浸水になりそうになった。

母は子供たちに命じた。

「全部、上にあげるんだ!」

それでなんと母と子供たちだけで、1階のタンスやその他の家具を2階に持ち上げてしまった。

そして畳も全部上げたのだ。タンスは全部中身が入っているままに。

ほっとして二階の階段から見下ろすと、濁流が木の枠組みだけになった1階を流れていく。

結局、床上少しの浸水だったようだ。

夜中すぎには、雨も完全に上がり、その夜は眠られぬままに、6人が二階に寝た。

そして翌日、これが大変だった。

当然のことながら、タンス、畳を下すことができない。タンスの中身を抜いてやっとそろそろと下したのであった。

まさしく「火事場の馬鹿力」の一夜だった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする