平山紀子など、知らないというかもしれないが、小津安二郎の名作『東京物語』で、原節子が演じた、戦死した二男の嫁である。
昌二郎は戦争で死に、彼女は一人で同潤会アパートに住んでいる。笠智衆、東山千栄子夫妻は、上京して実の子の山村聰や杉村春子らの家では、邪険に扱われた後、原節子のアパートで一番の安すらぎをえる。
東山は言う、「あんたが一番よくしてくれた。本当にいい人だ」と。
だが、平山紀子には、男がいるのではないか、と教えてくれたのは、同じ学生劇団にいた先輩の山本さんだった。彼は、俳優としての経験から、原節子の演技の裏には、何かがあると気づいたのだろうが、1970年代のことである。
確かに、東山と原節子会話を注意深く読んでみると、原は、現在の自分についてかなり曖昧に答え、東山に再婚を勧められると「もう結婚しない」と言い、
「それで良い」と言い、「それじゃあんまり、のう・・・年取ったら」と東山に聞かれると、
「年取らないことにしてますから」と答えている。
ここで想像できるのは、恐らく妻子ある男性と付き合っているだろうということだ。
その証拠に、隣の三谷幸子の部屋に原は、酒などを借りに行くが、どこか慣れた感じなのである。当時は、日常生活品の貸し借りはよくあったが、酒の貸し借りはそうはなかったように思う。これは、ちょくちょく男が原の部屋に来ていたことを現わすものではないだろうか。
最後、尾道で東山が死に、笠智衆が「あんたが一番よくしてくれた」と東山の感謝の言を伝えた時、原は言う、
「お母さまには本当のことが言えなかったんです」
本当は、恋人がいることを言えなかったのだが、それは結婚以外の男女関係を想像できない地方人の東山と、それ以外の男女関係のある都市の人間との差である。
坂口安吾は戦後すぐに次のように書いた。
若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌(いはい)にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
それが現実であり、人間なのである。