ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六とサブタイトルされているが、私は吉野氏に一度だけお会いしたことがある。
2代前の横浜市長高秀秀信氏の時で、「横浜でサミットができるか」調査するために、サミットの担当もされたことのある吉野文六氏のご意見を伺いに行ったのである。
当時は、元西ドイツ大使のご経歴を生かして、トヨタの欧州戦略を担当する調査研究部門の長をされていて、九段のトヨタ本社の最上階におられた。
ご意見は「勿論可能」とのことだった。
ともかく一度お会いしただけで、ご立派な方だと感じられたが、この本を読んでもそれは一層深まった。
信州に生まれ、東大法学部を出て外務省に入られるが、その前に1938年の「日米学生会議」に参加されていたことが注目される。
宮澤喜一元総理が参加したことで有名な日米学生会議だが、そこで吉野氏は、米国の経済力の大きさを認識される。
ドイツに派遣されたのは、すでにナチス・ドイツ時代で、駐独大使は大島浩である。
彼の戦争終結時の専横ぶりもひどいが、1941年に松岡洋介外務大臣がドイツで三国同盟を締結した後に、ソ連に行き、日ソ中立条約を締結する時、大島が反対だったというのが大変に興味深い。
これは、ナチスの首脳に食い込んでいた大島は、いずれドイツがソ連を攻撃することを知っていたからであろうと吉野氏と佐藤優は想像している。
また、かのゾルゲ事件のリヒアルト・ゾルゲは、二重スパイだったろうとしているのも、さすがである。
一般に言って優秀なスパイは、常に二重スパイなのであるが、ゾルゲもそうだったのである。
戦後の外務省のキャリア官僚たちの様々な人間模様も非常に面白い。
そして、外務省条約局長時代の沖縄返還交渉と密約。
裁判の席で、密約をきちんと認められたのは、日本の政治、外交史に残る大変立派な行為だったと思う。
国家公務員として、大変に見事な生き方だったと言える。