「保育園落ちた、日本死ね」が非常な話題だが、これの当否よりも、その意味するもの、恐らくは20代くらいであろう、書いた人たちのことについて、考えてみたい。
これが非常な話題を呼び、また反発も生んだのは、日本死ねだろう。
多分、保育園に子供が落ちたことぐらいが、なぜ日本の成否になるのだ、というのが保守派の反発だと思う。
だが、それは20代、30代の世代の若者たちの状況をまったく理解していないというべきだ。
なぜなら、彼らは、この間の「失われた20年」によって、なんの良い思いもしていないからである。
彼らは、日本の国防や安全保障といった遠い問題よりも、身近な毎日の生活の問題に追われており、その中で、共働きの基盤である子供が保育園に行けなくては、生活が成り立たなくなると思っているからである。
今の若者たちに生活の余裕はなく、共働きで子供もいる、というのはかなり恵まれた人だが、それでも日頃の問題を解決していくことが第一で、遠くの日本国のどうのこうの、といった事柄など関係ないというのが実情である。
その意味では、かつて小沢一郎民主党が「国民の生活が第一」といったのは、非常に正しかったのである。
日常の国民の生活を保障できない政治に、国の安全も国防もないのだから。
それが、北朝鮮のような、国防だけで成立している最貧国と、豊かな社会の日本との違いであると私は思う。