先日の鎌倉市川喜多記念映画館での原節子特集で満員で入れなかった1956年の佐分利信監督の問題作。
今日出海の『この十年』が原作で、戦後10年目の戦友たちの軌跡を描くもので、やや長くてテンポが鈍いが風俗が好きな私としては、実に面白かった。
外食券食堂、爆弾あられ、カストリ雑誌、ぬやまひろしの「若者の歌」などいろいろ出てくる。
東京港近くの倉庫で事務を執っている佐分利信は、生来の堅物と「戦争ボケ」で戦後の社会とずれていて、職場で上手く行っていず、若い上司の土屋嘉男に呆れられている。
息子と銀座で食事をするが、終わった時息子は母親の原節子が喫茶店から出て来たのを見てしまう。
そこからフィリピンの戦場に戻り、佐分利信以下、三船敏郎、小林桂樹、堺佐千男、千葉一郎らが米軍に追い詰められてジャングルにいて、戦争が終わったとの報の時、元画家の内田良平が餓死する。
佐分利は、息子と家に戻ると、そこに原節子も帰ってくる。
そしていう、「あの時、あなたは貧乏な私たちに同情してくれただけで、愛情ではなかった」という。
戦後すぐに戻り、バラックに原節子が幼い子と一緒に住み、貧乏暮らしをしている。
皆それぞれの働き口を見つけるが、一番は雑誌社の編集の佐分利信で、彼は原節子と結婚する。
だが、カストリ雑誌で、すぐに潰れてしまい、佐分利は失業する。三船は大学に戻ったが、卒業後新聞社に入る。
彼の伝手で、原節子は映画館の売店の売り子、さらに宝石屋の店員になり、職を得て一層きれいになって行く。
一方、佐分利は、戦後の社会に適応できず、闇成金になった小林桂樹の世話で、倉庫会社に入るが、堅物なだけで、社長の沢村宗之助相手にも囲碁では手を緩めないという変人ぶり。
要は、無口の堅物の典型的な昔堅気の男と、戦後的な行動的な男の三船敏郎との間で揺れる原節子であり、これは非常に興味深い。
最後近く、佐分利と息子が家にいるところに三船敏郎と別れたばかりの原節子が帰ってきて、別れ話を切り出し、原は一人家を出てゆく。
最後は、結局海外赴任をする三船敏郎と一緒になることを示唆して終わる。
佐分利信も、今日出海も、佐分利信のような戦前的な男は、もう及びでないよと言っている。
最後、隣家の明らかにオンリーだった賀原夏子と原節子が何年かぶりに電車で会うと、旦那らしき男が真面目な亭主らしい佐田豊であるのが良い。
今も生存しているのは、土屋嘉男と、闇市の汚い少年から美少女になり、当然のごとく小林桂樹が求婚する八千草薫だけだろう。
それにしても八千草薫は、この頃から少しも変わっていないのは、やはりすごい。
神保町シアター
コメント
佐田豊
佐田豊が100歳を超えた今でも健在らしいです。
ありがとうございます
佐田豊さんは、1911年生まれですから、105歳ですね。
どこかで読んだことがありますが、佐田さんは「髪結いの亭主」で、悠々自適で役者ができて来たのだそうです。
最高の人生ですね。