松山恵子死去

歌手の松山恵子さんがなくなられた。
「泣き節の恵子」と呼ばれ、一度聴いたら忘れられない独特の歌い方で、熱烈なファンも多いので有名だった。
新聞は触れていないが、松山恵子さんは、日本マーキュリーレコード出身なのである。

この日本マーキューリーというのは、神戸にあったレコード会社で、戦前はタイヘイと言い、作曲家服部良一さんがデビューした名門だった。
同社は、戦後のジャズ・ブームでアメリカのマーキュリーと提携し、日本マーキュリーとなった。確か西田佐知子もいたはずだ。
だが、昭和30年代に東芝がレコードを出すことになり、マーキュリーから多くの歌手、スタッフが引き抜かれ、同社は三流会社に転落してしまう。

松山恵子もマーキュリーから移籍した歌手の一人で、その後大スターになったのは、ご承知のとおり。
肝臓ガンとのことで、彼女は酒もタバコも一切やらなかったので、輸血等によるC型肝炎からのガンなのだろうか。
昭和の大歌手の一人のご冥福を心からお祈りする。

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コメント

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