『食いしん坊万歳』

『食いしん坊万歳』と言って、テレビの食べ歩き番組ではない。「正岡子規青春狂詩曲」と名付けられた文学座の公演である。脚本は瀬戸口郁、演出は西川信廣、文学座創立80周年記念公演である。

80周年とはすごい、宝塚が100周年だから、その次ぐらいになるのだろう。

劇団新派も古いが、ここはいろいろと変遷があり、どこを創設の時とするか、なかなか難しい。新派は、1987年に創立100年をやっているが、明治期の壮士芝居を起源とするのは少々無理があると私は思う。

舞台は、正岡子規(佐川和正)が、高浜虚子(川上路啓志)と河東碧梧桐(内藤祐志)相手に野球のノックをするところから始まる。

ベースボールを野球と訳したのは子規だという俗説があったくらい子規は、野球に熱中したことがあった。

子規は、物事に熱中する性質があり、野球の他、俳句の革新、と分類、雑誌『ホトトギス』の創刊、さらには短歌の革新にまで全勢力を傾けて命を賭ける。

そして、戦前の有為な若者を襲った結核の一種である、脊髄カリエスになり、35歳で死んでしまう。

だが、結核には微熱の発生によって絶えず意識を高揚させる効用があったようで、子規の他、石川啄木、樋口一葉らの創作、さらにオペラ『椿姫』の高等娼婦ヴィオレッタにも異常な美しさを与えたのである。

高浜虚子や河東碧梧桐らの弟子、さらに叔父の外交官の加藤恒忠(原康義)、そして母の八重(新橋耐子)と妹の律(岡本温子)も、子規の熱に感染するように、その子規の生の輝きに巻き込まれていく。

題名の食いしん坊とは、子規の異常な食欲で、当時食事療法と静養以外に有効な治療法のなかった結核において、ともかく栄養(滋養)をつけることは意義ある療法だったからである。

彼の新聞『日本』での口述筆記の随筆、『ホトトギス』での夏目漱石の小説から、明治期の口語体が生まれたのはその通りだろう。

また、言うまでもなく、落語の名人三遊亭圓朝の口演の速記本から、二葉亭四迷の小説が生まれたこともあるが、どれも明治期の東京の人間の会話体から日本語が生まれたことは間違いのないことだろう。

作者の瀬戸口郁が、文学座の俳優であることは初めて知った。欲を言えば、もうひとひねり欲しいところだが、きわめてよくできた劇になっていたことは間違いない。

母八重の新橋耐子が、さすがの貫禄で、劇を引き締めた。

紀伊国屋サザンシアター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする