稀勢の里の優勝を作り出したのは、照ノ富士・琴奨菊戦にあった。
白鳳がいなくなり、稀勢の里が好調で断トツで優勝と思われていた13日目、関脇の琴奨菊と大関照ノ富士が対戦した。
今場所の調子から見て、まず照ノ富士の勝ちだろうと思って見ていると、なんと立ち合いで照ノ富士が変化して、飛んで体をかわし、いつも通りに単純に突っ込んだ琴奨菊は簡単に転んで負けた。
いくら優勝の可能性があるからと言って、この照ノ富士の立ち合いの変化はないと皆思った。
そして、次の稀勢の里は、横綱日馬富士の渾身の立ち合いで、土俵下に落ち、左肩を押さえてしばらく立てず、これは不味いなあと思う。
翌14日の鶴竜戦も、稀勢の里は簡単に押し出され、相当に左肩がひどいのだなと思えた。
だが、千秋楽の結びの横綱日馬富士と鶴竜の最後の一戦の前、稀勢の里・照ノ富士戦があった。
ここで、照ノ富士は変化せず、逆に稀勢の里は上手く回って勝ってしまった。
次の優勝決定戦でも、照ノ富士は変化技を出せず、稀勢の里の渾身の小手投げに投げ飛ばされた。
照ノ富士側から見れば、13日の琴奨菊戦に変化技を出してしまったことが負けの原因だったといえるだろう。
もし、琴奨菊戦に変化ではなくて勝て、千秋楽の本割でなら、変化を使っても優勝の掛かった一戦だから、これはやむを得ないと評価されたのではないだろうか。
その意味では、照ノ富士に先を読む頭がなかったということになる。
尤も、照ノ富士も今場所も次第に足が悪くなっていて、必死だったのだとも言われているが。
奇跡といわれる勝負も、いろんな偶然から生まれてくるものだと思う。
コメント
こんにちは。中川繁男(月山照基)です。
最近、貴君のブログを見つけて、拝読いたしました。おもしろいですねぇ。しかし大変ですね、毎日、書いているのだとしたら、私なんかは気が重くなって、せいぜい一週間で音をあげてしまいますよ(笑う)。
19日、皆様に会いたかったのですが、気持ちがあせったものか、前日に芝居の《倉庫》に行ってしまいました。恥ずかしい限りです。
あっそうそう、中村正子さんから「指田さんにあったら、ご本、ありがとうございました」といった言付けを頼まれていましたので、ここに記させてもらいます。
なおアマゾンで貴君の著書『いじわる批評、これでもかっ!』があったので、注文しておきました。明日、手元にとどく筈ですから、おおいに愉しみです。
あと3時間ほどで、夜も明けます。私もそろそろ布団に入る時刻のようです。
それでは、「お休みなさい」と云いながら、メールを送信することにいたします。草々。
19日は残念でした。劇については、書きましたのでお読みください。
その後、今度新国立劇場の芸術監督になる小川江梨子演出の『令嬢ジュリー』を見ましたが、ひどいの一語でした。今や、日本の若者の演劇には、「役作り」という言葉は死語になってるんですね。
斎藤真さんにそのことを言うと、『満月』でも、一応そうはさせているのだがと言っていましたが。
『いじわる批評、これでもかっ!』をお読みになるとわかりますが、あのころから言っていることは変わっていないのです。当時から見れば、少しは柔らかくなっていると思いますが。