『野良猫ロック・暴走集団71』

藤田敏八は好きで、大体見ていたが、これは見ていなかった。
傑作だった。
71と言っても、1970年12月最終週で、1971年正月映画。
最初に、DとNが組み合わさったダイニチ映配のマーク。当時、大映と日活は共同配給機構・ダイニチ映配を作っていた。

新宿西口にたむろするフーテン族から地井武夫が拉致され、改心するよう伊豆の実家に連れて行かれる。西口もまだ道路が出来た程度で何もなし。
原田芳雄、藤竜也、梶芽衣子、夏夕介、久万里由香らが、地井を取り戻しに伊豆に行く。
地井の親父・稲葉義男は町長で、配下には事務屋の戸浦六宏、さらに黒皮ジャンにオートバイ野郎の郷映冶、前野霜一郎(ロッキード事件の際、児玉良夫邸に飛行機で突っ込み自死した)らがいる。

最後、地井もフーテン側に寝返り、町長側と廃鉱跡のウエスタン遊園地でのダイナマイトと銃による戦いになり、フーテンは全滅する。
そのアナーキーな雰囲気は、反体制運動の興隆を反映しており、銃撃戦の破滅は、1年後の連合赤軍による「浅間山荘事件」を先取りしている。
その意味で、藤田の時代感覚は大変鋭い。

この自己破壊衝動は、次の『八月の濡れた砂』、さらに『赤い鳥、逃げた?』で一層明確になる。
また、自己破壊的な衝動の激しさに反し、その表現は音楽に象徴されるように「少女趣味的」に抒情的である。
この矛盾が藤田の魅力である。
だから、見ているとひどく取り留めなく、一体何を描いているのか不明で、ムード的に流されていると、突然激しいアクションになる。

この作品の半年後、藤田は最後の映画『八月の濡れた砂』を撮り、日活は制作を中止し、数ヵ月後ロマン・ポルノとして再開される。
フィルム・センター

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