話題の山田洋次作品だが、正直にいって最近の彼のものでは一番良いと思う。
時代劇もそれなりだったが、少々肩が凝るできで、この現代劇の方が気楽に見られて良い。
話は、昭和10年に山形の田舎から東京に女中奉公に出てきた倍賞千恵子(女中時代は黒木華が演じる)が、雪が谷の赤い屋根の、モダンな小さなおうちで経験した事件である。
雪が谷というのが微妙なところで、ここは小津安二郎の『秋刀魚の味』にも出てくるお屋敷町だが、すぐ近くの長原は、庶民的な商店街の町だった。
池上線は、駅ごとに特色があり、私の実家の池上は門前町の下町だが、次の千鳥町と久が原はお屋敷町で、外人の大邸宅もあった。
女中というのは、1960年代まで、大都市の中流以上の家には結構いたもので、それだけ人件費が安かったということでもある。
だが、電気製品のない時代、主婦の仕事は多く、それを手伝う女中の必要性はあったのである。着物の洗い張りのシーンが出てきて、「ああ家でもよくやったものだ」と思った。
黒木は、最初本郷の小説家・橋爪功のところに行くが、すぐに松たか子と片岡孝太郎の雪が谷の赤い屋根の小さなおうちで働くことになる。
二人には、男の子がいて、片岡は玩具会社の常務で、かなり上層の生活である。
この映画が優れているのは、戦前の日本の生活が結構恵まれていたことをきちんと描いていることで、時代考証は極めて正確である。
それに食事のシーンで、両手を合わせてのいただきますが一度もないのも大いに評価できる。
昭和13年の正月、家に社長のラサール石井らが来て、近衛文麿を賞賛し、南京陥落を祝い、「これで景気はよくなり、3年後は東京オリンピックで万々歳だ」と浮かれている。
晩年の一人暮らしの中で倍賞が書いている、その自叙伝を、孫の妻夫木聡は、
「南京大虐殺もあり、違うんじゃないの」と反論するが、当時はそうだったと倍賞は言う。
そこにデザイナーで芸術家肌の吉岡秀隆が現れ、戦争しか話題がなく、ガサツな夫たちと違い、クラシックから美術まで芸術に造詣の深い吉岡に、松たか子は急速に引かれていく。
そして、彼のお見合い話を説得することを理由に、ある日の午後、松は、長原の吉岡の下宿に行くことになる。
そこで何が起きたかは勿論分からないが、帯の縦線の図の左右が逆になっていたことを倍賞は見逃さなかった。
最後、丙種だった吉岡にも召集令状が来た日、黒木華は一つのことをしてしまう。、松たか子と家のために。
この時の二人のやりとりは非常に良い。松は言う「お前は、私に指示をするの」 だが結局、黒木華のいう事に従う。
それは、松が吉岡のところに会いに行くのではなく、家に来てくれと書いた手紙を黒木が吉岡のところに持っていくことだった。
それは、酒屋の親父蛍雪次朗から、松たか子のことが町で噂になっていたことを聞いたためだった。
しかし、その日、吉岡は来なかった。昭和20年の空襲で赤い屋根の家は焼けてしまい、夫婦も死んでしまう。
戦前の昭和10年頃から15年頃までが豊かな時代で、モダニズムだったことをきちんと映像化した上で、この映画は大きな価値がある。
ただ、松たか子と吉岡が会うことになる音楽会のことを、コンサートと言っているのは気になった。
この時代は、まだコンサートとは言わず、音楽会とか演奏会と言ったのではないかと思うが。
戦前の社会と時代をきちんと描いている上で、この映画は大変貴重なものだと思い、大いに評価したい。
上大岡東宝シネマズ