松本俊夫について

『白い長い線の記録』と『私はナイロン』の上映後、松本監督、湯浅譲二、西嶋憲生氏でシンポジウムが開催された。一番感じたのは、松本俊夫は相当に「おたく」な人だということだ。

大島渚は、1960年代の松本を「ヒットラーを思わせるような、すごいアジテーターだった」と書いている。
一度話し出すと論理が次から次へと展開されて止まらない。しかも、完全に理路整然としている。
だが、どこか抽象的、観念的で、現実世界と関係ない。
これは多分彼の、大学から記録映画会社に入ったと言う経歴も大いに影響しているに違いない。

以前のインタビューで「当時、日本の劇映画会社の作品は、スターの映画で、記録映画なら監督の映画なので、記録映画会社に入った」と彼は語っていた。
確かにそうで、作家の映画など、邦画メジャーではごく少数の巨匠以外ありえなかった。
だが、その代わり記録映画会社では、通常の劇映画会社にあるスタッフ、キャストの人間関係や男女間の葛藤とは多分無関係だったろう。
彼がいた新理研映画社は、当時社長は社会党の国会議員でもあったが、相当にひどい会社だったらしいが。
俗世間ずれしていない彼の性格は、この頃に完成されたに違いない。

人間関係や世渡りの下手さは、彼の理論的名声や華麗な映像技法に比して、ひどく映画製作の機会を狭めてきたと思う。
役者についても、『薔薇の葬列』でピーターの、『16歳の戦争』で秋吉久美子のデビュー作を撮るなど、ジャーナリスティックな話題性もあるのに、それが後の映画制作に全く結びついていない。
そうしたことに関心がないのだろう。
多分、彼が関心があるのは、理論であり、実験であり、映画的技法の革新である。
それは、相当に「おたく」的な態度であると思う。
だが、多くの作品がDVDで見られるようになった今日、やっと彼の力は正確に評価される時代になったと思われる。
川崎市民ミュージアム

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