1945年8月15日、黒澤明はなにをしていたのだろうか。
彼は、東宝の撮影所で、エノケンと大河内伝次郎で『虎の尾を踏む男達』を撮っていたと自伝で書いている。
そして、8月15日の日本の降伏による一時的な中断を経て、秋に完成したが、内務省の検閲があり、さらに米占領軍の時代劇禁止措置で、公開は1952年4月まで延びたとしている。
これは実は本当ではない。
8月頃、黒澤明は別の作品の準備をしていたのである。それは山本周五郎の小説『笄堀』を原作とした映画『荒姫様』である。
これは、和田竜の小説で有名になった忍城の攻防戦の話で、城は城主が小田原に行っていて、奥方以下が石田三成の大軍に対している。
城方は、百姓、町人まで参加してあらゆる手段を講じて戦っている。
ある時、堀で奥方の笄を部下が見つけ、城内に上がり奥方様に会う。
とそれは、奥方様ではなく、奥方によく似た姫だった。
つまり、奥方も城の堀の掘削作業に参加していたのである。
こうした全員一致の戦いで、とうとう石田勢は城を落とすことができず、和睦になる。
大変によくできた戦意高揚小説である。そのため、これは戦後山本の『日本婦道記』にも入れられなかったほどだ。今は、別の短編集に収録されている。
これを基にした『荒姫様』については、植草圭之介が黒澤明から直に聞いた話として、『わが青春の黒澤明』に書かれているので本当のことである。
では、なぜ黒澤は、この『荒姫様』の企画のことを隠しているのだろうか。
やはり、戦時中に戦意高揚映画を企画していたということを知られなたくなかったのだと思う。
自伝が出たのは1980年代のことだから、やはり戦時中のことを気にしていたわけだ。
さて、私は、この奥方様と姫を二人を原節子の二役でやるつもりだったと推測している。
さらに、これを戦後に置き換えたのが、『わが青春に悔いなし』だと私は思う。
あの作品の前半、大学教授・大河内伝次郎の娘の原節子は、お嬢様としてお上品に振舞っている。
だが、夫の藤田進が特高に殺され、なぜか理由は不明だが押しかけ女房で彼の実家に行くと、母親杉村春子と共に、異様な頑張りで農作業にまい進する。
この変身は、相当に異常で、見るものに相当な感動を与える。
この原節子の変身は、『荒姫様』で、奥方と姫の二人を原節子に演じさせるアイディアを応用したものだと推測している。
まことに、転んでもただで起きない黒澤明の才能には脱帽するしかないと思う。