『高校さすらい派』

1970年、森崎東監督作品。

久里浜少年院から森田健作が出所してくる。迎えに来た元仲間のケン・サンダースが運転するジープで、彼は、少年院の先生の笠智衆の紹介で鳥取に行く。

そこは低レベルの私立高校で、そこでの森田健作らの活躍を描くが、どうも実際は鎌倉あたりの学校で撮影しているように見える。

校長は内田朝雄、教頭は佐野浅夫だが、本当の支配者は創立者で銀行家の神田隆であることがわかる。

そこで彼らがやろうとしているのは、授業料の値上げとL・L用の機器の生徒への売り付けである。

高校レベルで、L・L、ランゲージラボラトリーをやらせるなど、随分と進んだ高校だなと思う。

L・Lには、私も大学に行ったとき、さんざこれでいじめられたもので、大いに恨みがあり、これの導入反対はきわめて同感できる。L・Lは、1960年代当時、アジアの非英語ネイテイブの人間用に開発されたものだそうだが、今日では間違いの英語教育だとされている。

森田は、バンカラ学生の山本紀彦、美人の武原英子と仲良くなり、これともう一人の、唯一の秀才で東大入学を期待されている学生の加島の4人が、学校に対して反対運動を組織し、体育館に立て籠もったりする。

当時の学園運動を反映していて、先生にも佐藤友美のように生徒側に立つ教師もいる。

この時期、結構メジャーの映画会社でも「学園紛争物」があり、東宝の『戦争を知らない子供たち』では、酒井和歌子が生徒側に立って最後は傷つく教師役を演じた。

最後、森田、山本、武原の3人は、壊れた漁船に立て籠もり、「誘拐事件だ」とする神田隆の申し立てで、警察が周囲を囲み実力行使する。

その戦いで、武原は甲板から落ちて死んでしまう。

森田健作のどこがいいのか理解できない私としては、どうでもよい映画である。

ただ、ラストの警察との銃撃戦は、この時期の東大の安田講堂から、後の浅間山荘の銃撃戦を思わせた予兆的な作品のようにも思える。

藤田敏八の1973年の秀作『赤い鳥、逃げた?』では、最後本牧ふ頭での銃撃戦で車は爆破されて、原田芳雄、桃井かおり、大門正明の3人は爆死してしまうが、爆破まで行かないのは、松竹の限界だろう。

あるいは、1960年代初頭の松竹京都撮影所の閉鎖の時の、助監督だった森崎東自身の敗北の苦渋が反映されているのだろうか。

衛星劇場

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする