11月3日は、新人監督映画祭の応募作品を見る時間を割いて、シネマリンに行き、1970年代の横浜のドキュメンタリーを2本見た。
堀田泰寛監督の『日曜日の子供たち』と、小川紳介監督の『どっこい人間節』。
小川プロの作品は、1970年代には全国で上映されていたが、反体制的政治運動の代替えとして上映運動をすることには疑問を持っていたので見なかった。
また、『日曜日の子供たち』は、1980年の完成後、小規模のまりでしか上映されたことがないので、今回初めて見た。これは、堀田監督が、休みの日曜日ごとに、鶴見区の埋め立て地に通い、そこの子供たちを撮ったもの。
場所は、鶴見区末広町で、今は東京ガスと下水処理場になっている場所の手前で、その後埋めたてはさらに進行し、鶴見工場とプールになっている。この埋立は横浜市港湾局がやったもので、環境事業局への土地の移管については、財産担当係長の私がやった。
さて、子供たちは、誰にも管理されていない場所で、自由に遊び、主に釣りなどをやっている。中には沖縄系の子供も見られるが、この近くには旭硝子の工場がある。
ここは昭和初期から沖縄の人が多数移住してきた地域で、ガラス工場は当然に暑いので、沖縄の人は「耐熱性」があるのではと思われて雇用したという笑い話もある。
最後、埋立の再開のため、鉄条網が張られて終わる。丁度、東京ガスと下水処理場のための埋め立てが始まったのだ。
『どっこい人間節』は、中区寿町に住む人たちを追ったドキュメンタリーで、小川監督らのスタッフは寿町に住み、男たちをインタビューする。一人の男の葬儀のシーンから始まり、何人かの男たちの個人史を語らせる。
戦中から戦後の日本を、底辺の男たちを通しての歴史的に見る視点である。
一番印象的だったのは、景気が良くなると、寿のような場所の人間は増えるとの一人の住民の言葉だった。
それは、実際に寿の人口が増えるのではなく、終了後のトークで加藤明彦先生が言ったように、日本中に非正規雇用と言う、「日本中の寿町化」が起きているのが今の日本なのである。
それは、小泉純一郎・竹中平蔵の新経済主義路線以降の日本の姿で、すべてが損か得か、勝ち組か負け組かの卑しい基準になっているのだ。
これに対し、『どっこい人間節』で見られるのは、すべての人間が、それぞれの立場で、何が正しく、人間はなにをすべきかを議論しているのだ。
戦後、文化国家として再出発した日本の原理が、1970年代にはまだあったことがよく分かった。
今の日本は、実にひどい時代になったものだとつくづくと思う。
コメント
指田文夫様
『日曜日の子供たち』の監督堀田泰寛です。
~都市民俗学の役割「横浜のドキュメンタリー2本」~のコメント文を読んで、もしかしたらと思いメール致します。
上映会当日(2017.11.3)、『日曜日の子供たち』の上映が終わり、トークも終え出口に向かう間客席通路にて、私にこの映画に対する感想を話してくれた方でしょうか?
「この映画には、子供のことを考えるあらゆる大事な原点がある」というような旨の話をされた方ですか。
出口のドアーを出て、トイレに入り、出てきたらもう見当らず、話は途切れてしまいました。
思い当たられるようでしたら連絡下さい。
私に記憶はありませんが、ご連絡はいつでも、していただいて結構です。
http://yoshinocho@jcom.home.ne.jp です。