先日、新人監督映画祭で、「映画は都市の写真帳」をやり、大阪篇で須川栄三監督の『ある大阪の女』を見せた。
これは、溝口健二の名作『浪華悲歌』のリメイクで、団玲子が主演した作品。その冒頭、大阪球場で団は、恋人の川崎敬三と南海・西鉄戦を見る。どちらの球団も(球場もアベノハルカスになっている)今はないのが皮肉だが、1962年当時はパ・リーグの上位チームだった。
そこでは投手でまずスタンカが投げていて、次に皆川の姿が見える。
皆川睦雄は、日本最後の30勝投手と言われ1968年に記録しているが、彼は意外にも20勝したことはないのである。
調べると、30勝投手は、林安夫、白木義一郎、森弘太郎、大友工、土橋正幸、真田重蔵、小野正一、長谷川良平、藤本英雄、皆川睦雄、小山正明、権藤博、杉浦忠、杉下茂、スタルヒン、別所毅彦、金田正一、野口二郎、稲尾和久と19人もいるのだ。
だが中で、一番すごいのは杉浦と稲尾だと私は思う。
杉浦は、1959年は38勝4敗、パ・リーグで文句なしに優勝して、日本シリーズでも4連投、4連勝で巨人を破り日本一となり、涙の御堂筋パレードになった。翌年も31勝11敗だから本当に信じがたい。だが、この時期の登板過多、投げすぎがたたり、この大投手が結局187勝に止まったのだから、やはり酷使は投手寿命を縮める。
稲尾も、1957、58、59年と3年連続30勝だから、これも大記録と言うべきか、あまりにひどいと言うべきか。
ただ、よく見てみると意外にも上位チームが多いが、他に投手がいなかったというのも多いようだ。上位でなければ、勝星は上がらないからだ。その意味では、下位チームの国鉄と広島にいた金田と長谷川は大したものだと言えるだろう。
エース以外に二番手、三番手の投手がいれば、一人で出ずっぱりにはならないのだから。米田、梶本の両エースがいた戦後の阪急からは、30勝投手が出ていないのはそのためである。
例外は、1960年の大毎の小野正一で、ここには彼の他に若生、三平(みひら)と投手はいたのだが、エースの小野が頻繁に登板したために30勝になった。
ともかく20勝も、田中将大以後ないのだから、30勝投手が出ることは、まずありえないだろう。