小さな脱帽 「日本ニュース256号」

川崎の市民ミュージアムで、「ニュース映画で見る昭和史」が行らわれた。解説は副館長の濱崎好治氏。

今更だが、ニュース映画はサイレント時代からあり、新聞社が作っていたが、1940年に情報統制で制作者が統一されて社団法人日本映画社になり、「日本ニュース」が全国の映画館で強制上映にようになる。この時、文化映画も強制上映になったので、記録映画の全盛時代になる。

戦後は、㈱日本映画新社となり、1970年代まで東宝系で上映された。

1945年9月に上映された256号は、米軍の進駐から始まるが、上空を飛行する編隊のバックは、ワグナーの「ワルキューレの飛行」で、コッポラ映画と同じである。

マッカーサーの進駐から相模湾への上陸用舟艇の着岸、ミズリー号での日本と連合国の降伏文書の調印、マッカーサーの演説となる。

そして、東久邇首相の御演説となるが、タイトルの右横に小さく「脱帽」の字。

戦前まで、天皇や皇族が出る時は、直前に「脱帽」の字が出たもので、最近は劇場でも平気で帽子を被っているバカ者がいるが、ぜひ「脱帽」のタイトルを出してもらいたいところである。

戦後の日本ニュースは、㈱日本映画新社の社長が岩崎咏になったように左翼的になり、当時の食糧危機から、1946年5月には「米よこせ」の食糧メーデーが行われ、25万人がデモ行進する。

特別上映として、それをGHQが第一生命ビルの上から撮影しているが、それはカラーなので、ここが日米の差である。実は、米軍は16ミリのトーキーのカメラも実用化していたのであり、技術的レベルの差は、戦力と同様に歴然としていた。

ミュージアムの野外に展示されている1949年7月のトーマス転炉の火入れ式には、高松の宮様が列席されているが、今度退位される昭和天皇は、、港区の旧高松の宮邸に入られるそうだ。

最後は、神奈川ニュース協会の「神奈川ニュース」で、1988年で市民ミュージアム完成まじかの篇。

終わった後、濱崎さんにお聞きすると、日本映画新社の「朝日ニュース」は、1970年代まで東宝系で上映されていて、私は有楽シネマでよく見たというと、「館によって上映されるされないの違いがあった」とのお答えで、「ああ、そうだったのか」と思った。

川崎市民ミュージアム

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