『あやに愛(かな)しき』『おしどりの間』

私小説作家上林暁の代表作『聖ヨハネ病院にて』を原作にした宇野重吉の昭和31年、最初の監督作品。
民芸映画社で、主人公の妻・田中絹代とその父・東野英次郎以外は、主人公の小説家・信欣三をはじめ、ほとんどが劇団民芸の役者たち。

信欣三の妻田中絹代は、ある日突然体に変調を来たし、病院に入院する。貧しい小説家の彼には、二人の子もいて生活が大変である。
田中は、病室で自殺未遂し、一般病院ではなく、郊外の精神病院に転院する。
貧しい信欣三の暮らし、友人の翻訳家の滝沢修や青年時代の文学仲間の芥川比呂志らとの交流が描かれるだけで、劇的な事件もドラマも起きない。
そして、ついには信は、田中の病室に一緒に寝泊りすることになり、それを小説にし、「狂妻小説家」と言われるようにまでなる。
しかし、彼はその生き方も、小説の作法も変えることが出来ない。
田中との小さな諍いから病院を出た信は、やはり田中が心配になり、豪雨の中、病棟に戻る。
と、病棟の扉が開くと、信を待つ田中の心細そうな顔がのぞく。
「こうなるしかならないのだ」というなぐさめと諦めの決意が二人にはあった。
神保町シアターの「山田五十鈴特集」で見た。山田は、信や滝沢らが行く居酒屋の女将の役で出演。
長年の左翼独立映画・演劇人との関係からだろう。

この貧乏映画に感動したので、同じく昭和31年に山田五十鈴と実の娘嵯峨三智子が共演した東京映画の『おしどりの間』も見る。
山田が嵯峨を派手に売り出すために企画したものだそうだ。
原作は舟橋聖一、脚本新藤兼人で、渋谷あたりの旅館を舞台にした母と子の物語。『おしどりの間』とは旅館の部屋の名前。

嵯峨三智子は、夫の部下の男との不倫から夫に捨てられた母山田五十鈴に反発し、家出して旅館の女中になる。
そして、旅館の客上原謙に最初に惚れ、さらにアル・サロで働くと、そこのボーイの仲代達矢と恋仲になる。
山田五十鈴を誘惑した挙句に捨てた、千秋実からの手切れ金を仲代に取らせに行かせると、仲代は千秋を怪我させてしまう。
千秋を心配し病院に駆けつける山田五十鈴に向かい嵯峨三智子は、「男に依存し頼っているからお母さんは駄目なんだ!」と非難する。
まるで、自分は男と対等に戦い、自立して行けるかのように。
勿論、作者も、誰も信じていない。

監督は大映で性的な娯楽映画を多作した木村恵吾で、東京映画という他社は珍しい。
だが、現実の嵯峨三智子は、常に男に依存する生活で、酒、睡眠薬、覚せい剤等々のスキャンダルばかりで、女優としては十分に開花せずに母の山田五十鈴より早く、1992年に58歳で死んでしまう。
映画史的に見れば、嵯峨三智子が、その後松竹で主演した映画『こつまなんきん』、多分彼女の最高作品と思われる成沢昌成脚本・監督の『裸体』等の「男性遍歴物」の先駆をなすものと言える。

山田五十鈴さんは、最後の恋人だった劇作家の榎本慈民氏が火事でなくなられて以来気落ちしたのか、公的活動はないが、まだお元気なのだろうか。
ともかく、田中絹代、高峰秀子と並び日本映画史上最高の女優の一人である。
神保町シアター

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