『双城冬季』

民芸の芝居、正確には民芸と中国の上海話劇芸術センターの合同公演で、4年間の打ち合わせの結果で、すでに3月に上海で上演されているそうだ。

話は、上海の劇団に40年間勤めた老役者(許承先 国家1級役者で、確かに上手い)が定年退職し、家に戻ると妻(徐幸 いかにも中国的な美人)は娘がいる東京に行き、代わりに若い恋人(白蘭 その名のとおりきれい、と任山 この役者も上手い)に部屋を貸す。

東京では、隙間風が吹き出した若いサラリーマン夫婦(桜井明美と神敏将)に北海道から妻の両親(梅野泰靖と箕浦康子)がやって来る。
若い夫婦は、すでに破綻していて、離婚届けを出そうとしている。
父親が東京に来たのは心臓検査が理由だが、本当は中国から来ている徐に会うためなのである。
彼女とは、1965年に中国に行ったとき、通訳として知合ったのだ。妻には内緒で女性に会い、旧交を温めるが、それだけで、勿論、性交はしない。
1965年と言えば、1972年の日中国交回復以前で、政治的活動が絡んでいたと思うが、町役場の職員だった梅野が何故中国に行ったかは明かされない。

最後、破綻しかけていた日本の若夫婦は、夫の失業で逆にもとの鞘に戻る。
上海の恋人たちは、男が就職先の女性社長と出来てしまい、別れることになるが、男は女に社長から貰った財産を渡して女も元気に再出発する。

こうした国際的な合作作品はどうしてもご都合主義、微温的な内容になるが、結構シビアに両国の現実を描いていた。
ただ、脚本が中国側(喩栄軍)なので、日本人の感情表現がおかしかった。会話が中国的に、すべて直接的にはっきり言い合うのがおかしい。
この辺は、日本と中国の民族性の根本的な違いである。
一番おかしかったのは、音楽が極めて大げさなことで、日本で言えば昔の日本映画のような通俗的な音楽だったが、多分中国ではこの程度の表現にしないと、観客が納得しないのだろう。

最も面白いと思ったのは、上海と東京がほぼ同じセットでやられることで、日本と中国の都市生活は、そう変わらないものになっているのだと感じたのは、大きな収穫だった。

総体的に中国の役者はとても上手い。
民芸だから相手になるが、日本で彼らに太刀打できる役者はそうはいないだろう。
その意味で、こうした国際交流は大変意義がある。
日本の文化・芸術で一番、国際的な流通がないのが演劇で、その分日本の演劇は国際競争のない中で平安を貪っている。
映画、音楽、文学等が常に海外作品との競争に晒されているのと大きな違いである。
以前、平田オリザが韓国の俳優たちと新国立劇場で合同公演をやったが、いつもの平田のつまらなさではなく、結構見られる芝居になったのも、韓国の役者たちの力だった。
狭い日本だけで通じる芝居をやっている日本の演劇人には海外からの刺激が絶対に必要である。
川崎市麻生区黒川の民芸稽古場は、なかなか立派な建物だった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする