陸軍三長官事件


昭和10年夏に、後に「陸軍三長官事件」がおきた。
これは、陸軍の8月の人事異動の際に、真崎甚三郎教育総監が、自分の退任について、「将官以上の人事は、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の協議による」との内規があり、自己の了解を得ずして、自分の辞職を決めたのは内規違反であり、引いては天皇のみが持つ「統帥権干犯」であると拒否したのである。
勿論、このような横車が通るはずもなく、真崎は最後は辞職する。

だが、このときの陸軍内部の人事の軋轢は、陸軍内の皇道派と統帥派との対立の一層の激化を招き、永田鉄山軍局長が相沢中尉に惨殺される相沢事件、さらには2・26事件に至るのである。

今回の小池事件、防衛省の守屋次官人事のごたごたは、この陸軍三長官事件を想起するのは、私だけだろうか。
このごたごたは、防衛省内のどのような対立を象徴しているのだろうか。
いずれ、歴史が明らかにするだろう。

こういうことがあると、すぐに「日本の現在が戦前に戻りつつある恐れがある」という言説がある。
だが、私は全くそうは思わない。
それは、社会の価値観が全く変わったからだ。
戦前は言うまでもないが、日本におけるすべての価値の源泉は天皇であった。
だから、丸山真男によれば、「その者の価値は天皇からの距離によって決まった」のである。
勿論、天皇に近い者が正しく、尊いのであった。
だから、昭和10年の8月、教育総監の辞職を迫られたとき、真崎大将は目の前が真っ暗になっただろう。我こそは天皇の忠臣だと思っていたのだから。
皇道派は、言うまでもなく天皇崇拝主義であり、自分たちこそが天皇と日本国を守るものと信じ込んでいた。
それが天皇陛下から遠ざけられるなど、不条理以外の何ものでもなかったろう。
その恨みが2・26事件の背景になったのも分からないこともない。

だが、現在の日本では、価値観はきわめて多様であり、人生それぞれである。
小池百合子のように政界を次から次へと渡る人間もいれば、各省庁で一生を終える高級官僚もいる。
今回の騒動の次官、次官候補たちも、退任後はそれぞれに皆自由な人生を送っていくだろう。
3年後の参議院選挙、あるいは近日に来る衆議院選挙に出る方もきっとおられるに違いない。
「それも人生、人生いろいろである」

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