神奈川県高校演劇連盟の主催で『トゥーランドット』のプレ公演が平沼高校で行われた。
内容については、筋が非常に分かりにくいので、ものを言いようがないのだが、高校生の演技は想像以上に立派だった。
だが、問題は演出(田辺久弥)で、特に音楽には参った。
既成のレコードを使うのは仕方ないが、変なブルース、現代音楽、そしてショスタコビッチの大音響、最後はJ・A・シーザー風なのには本当に参った。
本来、オペラの筋書きなど、簡単なものだが、それが約2時間の芝居の内、初めの1時間は何をやっているのかさっぱり分からなかったのだから、大問題である。
それは、演技の問題ではなく、演出の観客に分かってもらおうという姿勢が最初からないからである。
だから、残るのは異常に呪術的な舞台しかなくなる。
高校生にこうした呪術的な劇をやらせるのは、どういう意図なのだろうか。
教育的見地から考えても、こうした迷妄性は問題だと思うが、いかがなものだろうか。
細木数子がばかばかしいのと同様に、こうした迷妄は大変不愉快である。
10月には、みなとみらい21地区の赤レンガ広場のテント劇場で本公演が行われるそうだが、そのときにはもう少し迷妄が少なくなっているようにお願いしたいものだ。
マルクスではないが、無知が栄えたためしはないのである。
コメント
Unknown
高校生だからこそ、呪術が必要なのよ。うふっ。
確かに一理あるが
すべての芸術において、リアリズムが最後に出てくるように、原始人の美術を見ても抽象性や象徴性が表現のはじめである。
ただ、そのことを分かって呪術的表現をしたのだろうか。
意識せずに呪術的になっているのは、問題だと思うが、いかがなものだろうか。