『昭和20年』という米軍戦略爆撃調査団が撮影した戦後の日本の記録映画を見ていたら、「松根油の作り方」があった。戦後のことだが、珍しいので撮影したのだろう。
それは、まず沢山の松の根をリヤカーで運んで来て細かく切る。圧力釜に入れて蒸す。それで出てくる油をプールに入れて水で冷やして、黒く固まった液をバケツに入れて原油にし、これを蒸留して石油にする。
敗戦直前、石油がなかった日本軍は、松根油の開発を国家的プロジェクトとした。
横浜の栄にも海軍第一燃料敞を作って開発に当たった。大船から栄区笠間を通って、金沢に抜ける道路とトンネルがあるが、これは燃料敞のために海軍が整備した道路である。
前後は、米軍の貯油施設に使われたが、その一部には、民間の大学を目指した鎌倉アカデミアが校舎を置いたこともある。
ここは映画や放送関係者を多く出した教育機関で、鈴木清順、前田武彦、いずみたく、高松英郎、『七人の侍』にも出た現在も鎌倉でお元気な俳優の加藤茂雄さんらが出た。
現在は、本郷台駅前から公団住宅、県立柏陽高校、栄区役所などになっている広いエリアだった。
近くに栄共済病院があるのも、この燃料敞という海軍施設があったからである。
松根油と言うと日本の原始的な例とされるが、バイオ燃料のバイオ・エタノールであり、そう馬鹿にしたものではないのである。