最近には珍しく素直に感動する演技を見た。二幕の最後の方で、三女役の芳根京子が、母親のキムラ緑子と対決する場面である。
この母がすごい女性で、「酒、タバコ、パチンコ、マージャン、そして男、男、男」で、キムラは非常に上手に演じていた。要は、母も女なのだから、好きなことをする権利はある。
三人の娘が、母の死後、灰をまくためにイスタンブールを旅行している。
長女はフリーライターの田畑智子、次女は専業主婦の鈴木杏、そして三女が芳根であり、長崎の土産物店で働いている。
21世紀の「三人姉妹」だが、ロシアの貴族ではなく、日本の下層階級である。
女としての母と娘との葛藤を描いた映画に松竹の『香華』があり、セットは立派だったが、母が乙羽信子とミスキャストだった。世には母性のない女性はいるもので、西河克己によれば、映画『チーちゃん御免ね』での秋吉久美子には母性がなかったとのこと。
最後の芳根とキムラとの対決で、芳根は言う。その時、母と付合っている男は、芳根の店に来て声をかけ、家では体を触られたこともあるのだという。
するとキムラは、「お前にスキがあり、男を誘っているからだ」と非難する。
増村保造の傑作『でんきくらげ』では、根岸明美の娘・渥美マリを、根岸のヒモ玉川良一は、根岸のいないすきに渥美を犯してしまい、「たまんねえな・・・」という。
そこに根岸が戻ってきて、玉川を刺し殺す。
キムラは、男を殺さないが、じきに自分が心筋梗塞で死んでしまい、芳根は自分が殺したように思っている。
三人の娘は、全員男がいて、それぞれ苦悩しているが、最後は母の骨の灰を撒き、ハッピーエンドで終わる。
それぞれの相手の男が一切姿を現さないのは、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』と同じで、人は生まれ育ち、結婚して子を作り育てて死ぬという循環にあると言っていると私には思えた。
吉本隆明風に言えば、「人として死に、類として生きる」という大きな環の中にあるということだろう。
作蓬莱竜太、演出栗山民也
紀伊國屋ホール