前進座も株式会社だった

          

土曜日は、池袋での劇団俳小の公演に行った後、早稲田大学演劇研究会の同窓会に出る。

およそ20人ほどで、私が最年少。

私より2年上で、役者をやっていて最初に東京演劇アンサンブル、そして次に前進座にいて、数年間に定年退職された志村智雄さんといろいろとお話しする。

彼によれば、前進座も株式会社だそうで、65歳で定年退職したとのこと。

文学座が株式会社だったのは有名だった。

1962年の分裂騒動の時、杉村春子を代表とする残留組と福田恒存、芥川比呂氏らの脱退組の株式数を数え、残留組の方が多く、「これで勝った」と残留組が上回り、福田らは脱退して雲を作る。この文学座が株式会社だったのは、地味な役者の龍岡晋が元は証券会社にいたからだそうで、私の推測では、戦前は公的法人の設立が難しかったからではないかと思う。龍岡は、地味な俳優だったが、篠田正浩の変な映画『化石の森』に出ている。

志村さんから、前進座が吉祥寺の劇場を売却したときの経緯も聞く。

売却することになったのは、劇場の運営費の他、前進座には当時約3,000万円の未収金があり、その処理が大問題だったとのこと。その時、志村さんは、「ネーミングライツ」のような企画を提案されたとのことだが、「そんなチンドン屋みたいなこと・・・」とのことで反対されたとのこと。その後、劇場は売却されて民間病院になっているそうだ。

その他、私が大好きな河原崎長十郎についてもお聞きするが、部分的なのでもっとお聞きしたと思った。

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