現在はプロデューサーの伊地知啓は1971年、日活撮影所で澤田幸弘と監督デビュー作のシナリオの打合せをしていたところ、藤田敏八が現れて、
「お前、そんなことしても、もう無駄だよ。どうだ俺のを手伝わんか」
と言った。
「何、それ」と聞くと、
日活最後の映画『八月の濡れた砂』で、これを機に伊地知は、助監督からロマン・ポルノのプロデューサーになった。
その結果、「お定まりのごとく酒の量が増え、胃を壊して入院」した。
すると、また藤田敏八が病院にやってきて、
「この経験は絶対に生かさなくてはいかん。看護婦ポルノをやれ!」と言った。