『天才監督・木下恵介』長部日出雄

木下恵介ほど、全盛期から見て人気が落ちた映画監督もいないだろう。
昔、紅白歌合戦の最後に司会のクボジュンが「きのけい監督が・・・」と言ったとき、「ああこいつは、木下恵介を知らないだな」と思った。

昭和20年代、日本人は木下の『二十四の瞳』に泣き、『喜びも悲しみも幾年月』に笑い主題歌を歌ったのである。
黒澤明に比較される大監督だったが、今日では黒澤、小津安二郎の名声が世界的に高いのに対して、木下はほとんど忘れられた部類の監督だろう。

長部が、木下恵介が大監督であり、天才的な画面と移動撮影、カッティング、映画的リズムの監督であることを力説しているのは、正しい。
木下の『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも幾年月』等の作品は、私の好みではないが、画面、音楽、そして編集は文句なしにすごい。

木下の作品で、本当にすごいと思うのは、長部も書いているように、『日本の悲劇』『女の園』『楢山節考』『笛吹川』のリアリズムの作品である。
監督の篠田正浩は、助監督時代に『日本の悲劇』を見たとき、その実験的技法の斬新さ、そして「親子はもう和解できない」というテーマにショックを受けたそうだ。「俺に描くべきものが、他にあるか」とすら思ったそうだ。
確かに、ヒューマニズムを標榜する松竹大船で、あのように残酷に母親を子が裏切り、突き放してしまう作品ができたのはとても皮肉である。

『女の園』の女学生同士が傷つけあい敗れていく姿のリアルさは、大島渚の作品に受け継がれたと思う。
『楢山節考』の全編を歌舞伎様式にした実験性。これは、後に今村昌平が作った『楢山節考』より上だと思うが、今村作品は作品の中心が実は『東北の神武たち』であり、本当は比較するのが難しいのだ。
『笛吹川』もすごい作品で、武田にどこまでも連いて行き、自らを滅ぼしてしまう民衆の愚かさは、木下の日本人批判である。

この本は、木下が時として軽い、つまらない映画をかなり作った秘密も明かしている。
それは、明るく楽しくヒューマニズム溢れる映画のみを作りたい城戸四郎社長に、『楢山節考』や『日本の悲劇』『笛吹川』等の問題作の制作を了解させるための作戦だったということだ。
木下恵介という人は、作品の抒情性から女性的な人のように思われるが、本当は極めて男性的な戦略家だったと思う。

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