大学時代の映画研究会で同期だったK君(と言っても私は1年生の秋に学生劇団に入ったので、半年くらいしかいなかったのだが)と野毛で飲む。
40年ぶりだが、そもそも私は大学時代はほとんど飲まなかったので、二人で飲むのは初めてである。
それでも新宿ゴールデン街の「小茶」にも2回行っているのだが、多分上級生に連れて行かれたのだろう。
彼は、20代でアニメのシナリオ・ライターとしてデビューし、その後もテレビ、映画で活躍されてきた。
最近は余り書いていないようだが、昔のアニメ著作権料が今も海外から送金されて来るとのこと。
昔の映研の連中の話になるが、当然多くの者が定年退職となっている。
映画関係が多く、記録映画の会社に入ったものが多かったのは、時代である。
当時は、まだ記録映画会社が元気で、それが完全に駄目になり、邦画メジャー以外の映像会社と言えばテレビCM会社となるのは、もう少し後である。
死んだ者が3人。
映画の話になるが、彼は日本映画は基本的に見ないのだそうだ。いろいろと関係があるので、批評出来ないとのこと。業界内にいると大変なこともあると感じる。
日本の批評は「すべて業界内の人間による業界批評だ」ということになる。
今回会って一番驚いたのは、K君が当時の全共闘など過激な運動に関わっていたことだ。
彼は、入学時から常に女の子を連れていて、学生運動などは馬鹿にしている遊び人だと思い込んでいたが、全く逆だった。
若松プロ経由で日本赤軍にも近い場所にいたらしい。
本当に驚いた。思い込みはいけない。
私は、思い込みの激しい人間で、いつも注意しているのだが、その傾向は昔かららしい。良く注意しなくてはならない。
桜木町の地下街に降りるK君と別れ、バスで戻る。
きっと地下の店でまた飲むのだろうと思うと、そうだったようだ。