先日買った岡鬼太郎の戯曲『今様薩摩歌』を早速読んだ。
だが、余り面白くないのだ。
「岡鬼太郎の戯曲って、この程度なの」と言うものだった。
眼高手低という言葉を思い出した。
この言葉を最初に思ったのは、松本俊夫である。
高校1年のとき、彼の評論集『映像の発見』を読み、圧倒的な影響を受け、文章はほとんど暗記した。
ところが、3年のとき、ある党派の集会で彼の監督作品『安保条約』を見て驚いた。
「エッ、これが松本先生の作品なの?」
言うまでもなく、総評制作の反安保のプロパガンダ映画だが、そのプロパガンダのレベルが極めて低いのだ。
そのとき、「彼は眼高手低なんだな」と思った。
その後、彼の作品は、実験映画を含め一番著名な、ピーターが初出演した『薔薇の葬列』以外ほとんど見ているが、良いと思った劇映画はない。
多分、記録映画の『母たち』や『西陣』が最高作だろう。
どちらも、カメラが鈴木達夫と宮島勇雄と素晴らしいためだろう。
さて、岡鬼太郎は、鬼のような厳しい演劇批評家で、最後は松竹の幹部にもなったが、この程度の劇作家だったのだろうか。
内容は、幕末の江戸の話で、一口に言えば、三角関係の悲劇だが、そこに武家の家と藩の主従関係が絡んでくる。
テーマは、ヒューマニズムだが、こうした新歌舞伎劇は、岡本綺堂の『鳥辺山心中』を典型に、今見ると、「何でこんなつまらないことに悩んでいるの」としか思えない。
「ヒューマニズム万歳!」は、少なくとも世界大戦や革命を経て、様々な人間の裏切り、虐殺、悲劇、喜劇を見た我々には、絶対至上なものとは思えなくなっているからだろう。信じがたいものにしか見えないのだ。
時代と言えばそれまでだが。
岡鬼太郎も、もう少し読んでみよう。