正造とは、足尾鉱毒事件の田中正造のことで、正造は石が好きで、多くの人に石を上げたそうで、主人公新田サチの森田咲子は正造から小石をもらう。
だが、この題名は、羊頭狗肉で、主人公はその田中ではなく、栃木の谷中村から正造の紹介で、東京の婦人解放運動家・福田英子(樫山文枝)の家に女中として入る新田サチなのだから。
もっとも、田中正造を主人公とした劇には、宮本研の名作『明治の柩』があり、いまさらこれと異なる劇を作り上げるのは難しいし、新たな意義を見つけるのも大変だろう。
元は、池端俊作がNHKテレビで書いた『足尾から来た女』であり、それを同じ横浜映画放送学院で今村昌平の薫陶を受けた河本瑞樹が劇化したものだと思う。演出は丹野郁弓。
サチの谷中村は、古河鉱山が出す廃液で川は汚染されて米は育たず、魚も食べると毒死に至る。村の長で、衆議院議員でもあった田中(伊藤孝雄)は、会社はもちろん県にも抗議するが事態はまったく改善せず、ついには明治天皇に直訴する。
まるで佐倉惣五郎だが、江戸時代ではないので磔にはにはならず、田中の下には全国から若い活動家が来て、民権運動との連合を目指すが、田中は一切耳をかさない。彼には谷中村の問題だけが重大なのだ。
そして、福田英子の家には、「あねさま」として後にアナーキストの頭目となる石川三四郎(神敏将)らが集っている。出てはこないが、堺利彦、大杉栄らも活動家として言及されると言った家なのだ。石川三四郎が手が早く、また後には11才年上の福田英子と同棲するとは初めて知った。
実は、サチが福田家に来たのは、田中の紹介だが、同時に県警察への情報提供を目的とされるもので、字も読めない無智なサチは、福田家での動向をすべて警察に話してしまい、石川らが逮捕されることに至る。
そして彼女は、神田川辺りの土手で、若い詩人に会い、一目ぼれしてしまうが、それは石川啄木だった。彼は優れた歌人だったが、借金魔であり、女癖の悪い嘘つき男だったことをサチは知る。
最後、彼女は自分を利用していた者たちとその思惑を知り、自分で考えるように生きていくことを決意し、看護婦として自立していく。
ここには、やはり今村昌平が教えた底辺の女から社会を見る見方が貫かれていた。
ただ、音楽が既成曲の利用で、ややぬるい気がした。
紀伊国屋サザンシアター