英語で、土木工学のことをシビル・エンジニアリングという。
市民の、民間の工学である。これに対し、ミリタリー・エンジニアリングがあり、むしろこれが本家本元である。
ローマ時代から、第二次世界大戦に至るまで、土木技術は、戦争、軍備に必要不可欠なインフラだった。日本でも豊臣秀吉の、「高松城の水攻め」や「小田原の一夜城」が有名だが、彼も土木技術をよく知っていた。
このことを再認識させてくれたのが、シネマ・ジャック&ベティCAFEの『戦争遺跡』である。
田中昭二監督の映画は、函館、舞鶴、下関等の要塞、砲台等の遺跡を、ただ写したもので、美しいと言えば美しく、退屈と言えば実に退屈。
そのレンガ積みには美学があり、意匠がある。
まさにミリタリー・エンジニアリングである。
大岡昇平は、アメリカ軍の土木技術の優秀さと科学性を『俘虜記』で書いている。
日本軍が、人力のスコップともっこの作業で、半年経っても完成しなかったフィリピンの小島の飛行場を、、ブルトーザー等の大型土木機械で一週間で作ってしまう。
また、アメリカ軍のすごさは、戦争を日常生活のように過させたことである。
その一つに、ジャズの好きな方ならよくご存知の「V・ディスク」レコードがある。
戦地の兵士に聞かせるために開発した特殊レコードで、SPより薄く軽く、空中から投下しても割れないように出来ていた。プレーヤーもあり、セットで飛行機から投下し、「島伝い作戦」を遂行する兵士を慰安した。
当時は、「レコード吹込みスト」に当たっており、このV・ディスクには、貴重な録音があり、20年前くらいに日本でもLPで出され、私も何枚か持っている。
要は、戦場でも国内の普通の日常生活をさせ、9時から5時まで戦争させるのが、アメリカのやり方であった。
夜襲、夜間行軍など、異常性で作戦を組み立て、「戦争だから我慢せよ」との日本の精神主義は、結局はアメリカの日常生活主義に敗北する。
これは、忘れるべきではないと思う。
コメント
関門要塞
秀吉時代でいえば加藤清正
御船川と緑川を合流させ大幅な河川改修を行い治水に努めるなど熊本にはその土木遺構が数多く残されている
関門要塞火の山砲台跡は日露戦争時代のもので子供のころの遊び場だつた
砲台のほか赤レンガ造りの地下兵舎もあり炊事場寝室生活用品の残骸血痕等も残つていてかくれんぼするにも怖いくらいだつた
それからわずか50年余いまは外壁の欠けらと碑文しか残されてない
これでは後世に何のことやら判らない
歴史的な遺構をいとも簡単に破壊してしまうのはなぜか
たかだか数年そのときたまたま担当だつたに過ぎない者(行政長)にそのような権限はないと思うのだが
これは個人の懐古趣味だろうか
昔は、東京湾にも残っていた
『戦争遺跡』を見ていて、レンガ要塞が、鈴木清順の『殺しの烙印』で、宍戸錠が最初の銃撃戦をやる要塞に似ていると思いました。鈴木清順作品のロケ場所は、昔木村威夫さんに聞いたところでは、お台場だったはずと言っていました。
また、宍戸が銃を放ち、屋根から男が転落するシーンのレンガの大きな倉庫は、横浜の富岡にあった日本海軍の工廠でしたが、これも今はありません。