『マナスルに立つ』

日本山岳会の登山隊が1956年5月、ヒマラヤのマナスル登山に成功する。
その記録映画、監督は山本嘉次郎で、洋画系で公開されたようだ。
私は、小学校の授業として、映画館に連れて行かれて見た記憶がある。
今回、見直して憶えていたのは、第三次キャンプを設営するとき、隊員たちがスクラムを組んで雪の上を踏み固めるシーンと、最後今西という隊員が登頂に成功し頂上で手を上げているシーンのみ。
それしか記憶にないと言うことは、登山等にもともと興味がないと言うことだろうか。
音楽は、渡辺浩子、渡辺岳夫兄妹の父親で、『赤胴鈴之助』の作曲者でもある、作曲家の渡辺浦人で、荘重な響きを奏でる。
この登山では、一次から六次までキャンプを作り、少しづつ荷物を上げて登山する。
ナレーションの森繁久弥は言う。
「登山は、人の肩の上に人が乗り、またその上に人を乗せるようなもので、個人ではなく、すべての人間で登るものなのだ」と。
なかなか上手い説明である。
川崎市民ミュージアム。

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コメント

  1. uhgoand より:

    『カラコルム』探検
    監督山本嘉次郎でナレーション森繁久弥とは知りませんでした
    本州最西端の田舎では映画は映画館で見るものではなく学校の講堂や運動場(まだグラウンドとは言わなかつた)や公会堂また野外の巡回映写で見るものでした
    『マナスル・・・』を見たのは小6でした今西さんは隊長だつたように記憶しています
    同時期に『カラコルム』その少し前にはディズニーの『砂漠は生きている』など記録映画を授業の一環として全校で見せられたものでした
    『砂漠は・・・』のラストシーンサボテンの花が真つ赤な原色で咲き乱れるシーンは今でも脳裏に焼きついています
    そのころ『七人の侍』も巡回で見ましたが しかしやたらと暗く長つたらしかつたことくらいしか覚えていません もちろん今はちがいますが
    なにしろその頃は錦千代の『新諸国物語・・・』と『嵐寛』しか頭になかつた歳ごろでしたから―― 

  2. さすらい日乗 より:

    隊長は
    コメント有難うございます。

    隊長は、日本山岳会会長の槙有恒です。
    この人は、秩父宮のグループ一人だったそうで、日本の登山の流れの一つが、上流階級から始まったことを象徴する人物のようです。
    この登頂成功は、国民的快挙にように報道されたと記憶していますが、槙という人の力もあったのだと思います。

    『砂漠は生きている』も最近、BSで見ましたが、明らかに作り物のドキュメンタリー、スタジオかロケ・セットでの撮影ですね。

    私は、大田区民会館で『近松物語』を見たことがありますが、そうと分かったのは、30代になって並木座で見て、最後の裸馬のシーンにきてでした。

  3. さすらい日乗 より:

    これとは別に
    同じ1956年に公開された記録映画に『カラコルム』があります。
    今西錦司隊長の京都大学探検隊の記録で、「マナスル」が毎日新聞であるのに対して、朝日新聞です。
    京都大学というのも、朝日らしいと言うべきでしょうか。

  4. uhgoand より:

    国家的大ニュース
    そうです『マナスル』が槙有恒さんで『カラコルム』が今西さんでした

    この年の大ニュースはこの『マナスル』登頂(頂上の日の丸)とメルボルンの笹原正三さんでした
    ニュースフィルム(映画)が繰り返し流され見たものです

    金メダルは古川や小野も獲りましたが子供たちの間ではなぜか笹原がいちばん人気でした
    そのニュースに戦慄を感じたものです