市会事務局の若手職員だったとき、ある印刷物を出して、ゲラが戻ってくると、
誤植があり、「野鳥問題」対策委員会となっていた。
勿論、そんなものは横浜市会にない。
「野島問題」対策委員会の間違いである。
野島とは、金沢区の南端の島だが、その周辺の形状は昔と今では大きく変わっていて、その結果、戦後長い間、横須賀市との間に「領土問題」があり、その対策委員会が市会にあった。
野島の南側には侍従川が流れていて、対岸は日産の工場になっている。
実はこれは、戦後の形状で、江戸時代末期は、野島と横須賀の夏島の間は、なにもなく広い海で、干潮時には広大な干潟になるところだった。
その干潟を利用し、明治時代から海軍航空隊の飛行場を整備するため、海軍は埋立を横須賀側から進めたのである。
野島と夏島の間の広大な海が陸地になったのだ。
軍隊と言うのは、すごい公共事業をするもので、まさにミリタリー・エンジニアリングである。
戦後、海軍の追浜埋立地は、米軍基地を経て日産自動車の工場敷地になった。
そこで問題化したのが、横浜市、横須賀市の市境だった。
横浜の主張は、この海には、「みお」があり、その位置は野島と夏島の真ん中くらいだったのだから、追浜の埋立地の半分は、横浜市域分である。
さらに、その辺までは、金沢の漁民の漁業区域だったことも補強材料とした。
勿論、横須賀は反対した。日産の工場なので、固定資産税等の多額の税収があるからである。
経緯は、いろいろあったが、横浜市の「領土問題」の対策委員会として、市議会に野島問題対策委員会が設置されていた。
最後は、正確には憶えていないが、現状を変えるわけにも行かず、県知事の斡旋で両市は1980年代頃末に和解し、追浜の埋立地は、現状のまま横須賀市域になった。
先週末、中国と日本との間に、尖閣諸島の問題が起きている。
横浜市と横須賀市のような、国内の市境でも、領土は大変やっかいな問題になる。
だから、重要なのは、歴史的経緯など、主張すべきことは、当然主張すべきだが、長い時間を掛けて解決すべき事柄だと思うのである。
そうでないと、得するのは、悪意の第三者だけであるのだから