『戦場の精神史』 佐伯真一

「武士道という幻想」と副題された本書は、一般的に言われる武士道の、フェア・プレイ等の精神が、実はほとんど近世までの日本で武士による戦闘、戦争があった時代にはなかったこと。あるいは、あってもむしろ例外的で、実態は勝つためにはなんでもする、時には「騙し撃ち」も横行していたことを明らかにしている。
豊富な実例が挙げられていて、大変に説得力がある。
確かに、古典や劇に出てくる英雄譚では、多くはだまし討ちや仲間を欺いての先駆けけが多い。
映画『七人の侍』で、志村喬の勘兵衛が、野武士を襲って鉄砲を奪って来た三船敏郎を、「抜け駆けは手柄にはならない」と叱るが、これは実態から見ればおかしいのである。
黒澤たちも、武士道の誤解していたのである。
手柄を認めさせるためには、殺した相手の首を切り取らねばならず、源平合戦の「宇治川の先陣争い」は、明らかに仲間を騙しての先駆けの功名である。それが戦場の実態である。

だが、戦争がなくなり平和になった江戸時代には、兵法家や儒者からは、こうした卑怯な兵法は、次第に非難されるようになる。それは、長期的に見れば、だまし討ち等の勝てば良い式のやり方では、仲間内の信頼を失い、組織を管理・運営していくには不都合になるからである。

だが、明治維新以後、急に「武士道」が発見され、鼓吹されることになる。
江戸時代にはほとんど知られていなかった、山本常朝の『葉隠』が発掘され、武士道の見本とされる。
明治になり、武士がいなくなり、欧化で欲深い連中が横行するようになったとき、今はない侍は美しい人間として美化されるようになる。
まことに現実は矛盾していると言うか、皮肉と言うべきか。
世の中の常識と言うものが、いかに実際の歴史と異なっているかを教えてくれる貴重な1冊である。
NHKブックス 1120円  2004年刊

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