今日は区内の某小学校の卒業式に行った。
私も、横浜市教育委員会の幹部職員の一人なので、式に出で教育委員会からの祝辞を述べるのだ。
まず、卒業の6年生の入場がある。
楽器の演奏と5年生全員のリコーダーによる『威風堂々』による入場、それも直線的に曲がるところは、角々にして歩行して席につく。
副校長の開式の辞があり、卒業証書の授与となる。
勿論、一人ひとりが壇上に登っての授与だが、驚くことに貰う前に全員がひと言を述べる。
「僕は環境委員をやって環境問題の重要さがよく分かりました」などなど。
こんなのは初めて見たが、卒業生は3クラス35人弱の103名なので、ただ渡したら、確かに30分も持たないに違いない。
我々のときは、小学校でも50人クラス6組の300人、中学に至っては12クラス、600人以上もいたのだから、信じがたいほどの子供の激減である。
私の役目の祝辞を終え、元担任教員等からの祝電の披露があり、次は「門出の言葉」
これは、6年生と5年生が、共に思い出等を、歌舞伎の渡り台詞のように少しづつ言い、時には全員でシュプレヒコール劇風にやり取りするもので、最近多くの学校で行われているそうだ。
聞くところでは、玉川大学が、この演出の発生源とのこと。
ともかく、それなりの「コール&レスポンス」劇で場内は相当に盛り上がり、泣いている女の子もいる。
勿論、ばかばかしいと冷めた大人びた少年もいる。
男も女も立派な服装である。
男はブレザーにズボン、女はブレザーに縞模様のスカート、まるでAKB48のようだが、スーパーや量販店で売っているとのこと。
子供手当てを貰っても、親は大変である。
中に、幼き日の石田純一のごとき着こなしの少年がいて、母親の好みが見える。
そして、校歌合唱。
これが本日で一番驚いたのだが、卒業生は斉唱だが良く合っていて結構きれいな響き、その上5年生は、ソプラノとアルトのパートに席が区分けされていて、途中を「ルルルー」とバックを付けて歌ったことであった。
「やるじゃないか」と思う。
昔、テレビの芸術祭参加の『特番』で、黛敏郎企画・監修、演出藤田敏雄の作品があった。
その中で黛敏郎が、「大相撲の千秋楽の『君が代』を聞くと私は絶望的になる」と言った。
彼によれば、「この『君が代』は、出だしがバラバラで勝手、音程は各自それぞれで誰も他人の声を聞いていない。
そして最後もバラバラで漣のように終わり、コーラスにも斉唱にもなっていない。これが日本人の音感の現状なのだ」
だが、この日の小学生のコーラスは、段違いのレベルだった。
「黛先生が聞かれたら、さぞやお喜びになったのでは」と思った次第。
これを作り出したのは、黛先生を頂点とする、日本のクラシック音楽教育の成果ではなく、言うまでもなく「カラオケ」の普及と習熟の賜物なのである。
今やカラオケ・ボックスは、小中学生の玩具なのだから。