竹田市は、『竹田の子守唄』の町ではない

九州の集中豪雨で、大分県の竹田市も大変だったようだ。

この竹田市と言えば、1960年代のフォークソングのヒット曲に『竹田の子守唄』があり、当時私はこの曲は、九州の竹田市あたりの曲だろうと思っていた。
聞いていた多くの人は、皆そんなもので、歌っていた赤い鳥のリーダーの後藤悦治郎さん自体が、どこの地方の歌か知らずに歌っていたのだそうだ。
そして、彼はある日気になり、調べるとなんと彼らが活動していた京都市南部の竹田地区の歌だったのである。
竹田は、京都の南部、鴨川の南で、地下鉄が通じている地域であるが、そこはいわゆる被差別部落地区である。

もともとこの曲は、京都のアマチュアの合唱団の中では大変に有名な曲で、それを後藤さんたちがフォーク・ソングとして歌いヒットしたのである。
だが、その元は、京都の竹田地区で歌われていたもので、それを採譜して曲にしたものだった。

1964年に、東京芸術座が『橋のない川』を上演する時、関西の作曲家尾上和彦さんに劇音楽の作曲を依頼してきた。
その時、尾上さんが京都の南部の竹田地区に行き、そこで歌われていた子守唄を元に作ったのだそうだ。
当初は、劇伴だったので、曲のみで詩は付いていず、後に元の歌をもとに復元、作詞したのだそうだ。
だが、多くの日本の民謡は、御詠歌のようで節がないように、この子守唄に詩はあったが、節は明確にはなかった。
そこで、尾上さんは、この曲をロシア民謡の『赤いサラファン』とアイルランドの『ロンドン・デリー』を元にして曲を作ったのだそうである。
そこには、ロシア、アイルランド、そして日本の民衆の心が隠されているわけである。

詳しくは、藤田正さんの『竹田の子守唄 名曲に隠された真実』(解放出版社)に書かれているので、興味のある方は是非お読みいただきたい。

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コメント

  1. 32 より:

    竹田≠被差別部落
     ご指摘の書籍に出ていますが、田でも竹田全体が被差別部落なのではなく、竹田の外れにあるK地区が該当します。
     「竹田の子守唄」は、採譜が竹田であることにより類似曲は大阪府にまたがり複数あるようです。
     また、子守の労働歌である「守子歌」らしいですね(「五木の子守唄」「島原の子守唄」も同様)。