『ロメオとジュリエット』

40年以上も芝居を見ているが、劇が始まるまでの会場案内等がいい加減だった集団で、ろくな劇にあったことはない。

新宿梁山泊の初めてのシェークスピア劇もそうだった。

中野の満天星というマンションの地下なので、チラシの案内図を持ち、地下鉄中井駅を出てすぐの交番で聞く。

だが、ここは新宿区で管轄違いでよく知らないようだった。途中でわからなくなり、八百屋で聞き、やっとマンションに着く。

この間、どこにも表示も案内板もない。

さらに、マンションの玄関にも会場の案内がない。

普通の劇団では、そのあたりで出店を出しているものだが。

いろいろ探し、階段脇のトイレに入ると、そこにいたおじさん(劇団とは無関係な方)に、「この下ですよ」と、教えてもらう。

今更ロメオとジュリエットの恋物語について言う必要はないだろう。

私も、蜷川幸雄が日生劇場で最初に演出した市川染五郎(現松本幸四郎)と中野良子とのも見ている。

その後、帝国劇場で野口五郎と藤真利子が主演したのもあった。

後者は、尾藤イサオらも出た「ミュージカル」だったが、『ロメオとジュリエット』ではなく、次第に『ウエストサイド物語』に見えてくるのがおかしかった。

さて、今回のはどうかといえば、かつて小林旭が「無意識過剰」と言われたことに倣えば、「無神経過」というべきだった。

ほとんどの役者に役作りは存在せず、各自が勝手に演じているだけ。

そして、音楽、ロックが1970年代のものでひどく古臭く、劇とまったく合っていなかった。

役者では、ロメオの申大樹は凛々しくて良かった。

だが、ジュリエットの傅田圭菜は、実祭はいくつなのか知らないが、16歳の処女に見えるだろうか。

申し訳ないが、まるで水商売の年増女だった。

昔、新派で水谷八重子(先代)と中村吉右衛門の『金色夜叉』を明治座で見たことがあるが、当時70以上だった八重子は、きちんと10代の娘に見えた。

現在では、ともかく役者の地を出すこと以外に演技の表現方法がないので、このような古典に対するとどうにもならなくなってしまうのである。

映画のオリビア・ハッセーとは言わないが、もう少し瑞々しい女優はいなかったのだろうか。

意外にも自然で面白かったのが、神父のマシュー・クロスビーで、彼のたどたどしい日本語の台詞はユーモアがあり救いだった。

唯一の収穫は、東京の新宿や中野にも下町的な住宅地があり、風呂屋まであることを知ったことだった。

芝居砦・満天星

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