1931年、ドイツの作曲家リヒアルト・シュトラウスは、作家ホフマンスタールを失い、新しい作者を探していた。
当時67歳の彼は、人気作家ツバイクに新作オペラ台本の創作を頼むと、ツヴァイクは喜んで承知するが、彼はまだ50歳だった。
そして、オペラ『無口な女』が完成するが、1933にはドイツはナチスの政権になっており、ユダヤ人のツヴァイク作品の上演を政府は妨害してくる。
ドレスデンの初演はなんとかできることになるが、なんとポスターやパンフにはツヴァイクの名前は入れられていない。
次第に強くなるナチスの圧迫のなかで、リヒアルトも、息子がユダヤ人女性と結婚していることを突かれて、いやいやナチの文化政策に協力させられるようになる。
そして、ツヴァイクは、再婚した女性と共に南米に逃げ、1942年についにはブラジルで自殺してしまう。まだ60歳だった。
戦後、法廷に立ったリヒアルトは、総ての罪を認めると共に、深く謝罪して終わる。
イギリスの劇作家で、『ドレッサー』あるいは、映画『船上のピアニスト』などのロナルド・ハーウッドの戯曲で、とても良く出来ていていつも感心する。
だが、第一幕はかなり退屈で、後半はほとんど寝てしまった。
それは、渾大坊一枝の演出が、きわめて昔の新劇的で、台詞以外の要素がほとんどないからである。
近年、私たちは、蜷川幸雄流の、派手に見せる芝居にいかに毒されているかがよくわかった。
もちろん、私は蜷川の芝居が大好きだが。
『ツアラツストラかく語りき』『バラの騎士』『サロメ』等の曲は、30から40代で作曲しているリヒアルトの早熟な才能にあらためて驚く。
それは、ツバイクも同じだったのだが。
この題名だが「コラボレーション」よりも副題の「シュトラウスとツヴァイク」を先にした方が良かったと思う。
あるいは、作者からの指示等があり、変更できなかったかもしれないが、「コラボレーション」というと、近年「コラボ」等といって非常に軽い響きがあるので。
前横浜市長中田宏も、やたらに「市民とのコラボ」などと言っていたくらいなのだから。
紀伊国屋サザン・シアター