1948年、小津安二郎監督の松竹映画で、舞台は東京の下町でガスタンクが見える場所。
田中絹代は、小さな子を抱えた妻で、夫の佐野周二は、まだ戦地から復員していなくて、洋服の仕立をやって生計を立てているが、極貧の生活。
昔のカフェの仲間の村田知英子に着物を買ってもらうと、「これで全財産がなくなった」と言う具合。
住んでいるのは、坂本武の家の二階に間借りしていて、そこに戻って来ると、子供がひどい熱を出している。
病院に行くと大腸カタルだとのことで、急遽の入院になる。
その費用のために、田中は前に服を買ってもらったことのある月島のいかがわしい店に行き、男の相手をして金をもらう。
子は無事治って退院したが、その時夫の佐野周二が戻って来る。
そして、田中はすべてを黙っているつもりだったが、元々正直に書くごとせずに生きていこうと結婚の時に誓っていたので、つい言ってしまう。
翌日から佐野は家に戻らず、元の会社の笠智衆にも苦しい胸の内を言うばかり。
会社の向こう側にはダンスホールがあり、若者たちが踊っている。
日本の社会は、大きく変わっていたのである。
この辺の違和感は、1946年に戻って来た小津安二郎自身のものだっただろう。
佐野は、月島の宿に行き、若い女が来る。
彼女と海を見ながら話し合い、佐野は田中のやむにやまれぬ理由を理解し和解しようと思う。
だが、家に戻り、田中と話す中で、ふとした具合から、田中の手を振り払う形になり、田中は階段を真っ逆さまに落ちていく。
ここは、さすがに吹き替えを使ったようだが、やはり衝撃的である。
誰の本か忘れたが、この映画を学生に見せると、「なぜ佐野はすぐに降りて田中に手を差し伸べないのか」と聞かれるそうだ。
小津は、その理由のいかんは問わず、夫に隠れて売春する妻は、罰せられるべきと考えていたからだと私は思う。
最後は少々教訓的だが、夫婦は若いし、子供を育てる幸福な生活を送っていこうと決意した終わる。
だが、この夫婦の二人、どのような事があろうとも、子供を育てていくことが最上の価値だと言っている点では、この次の『晩春』以下の作品と意味は同じなのだと私は思うのです。