詩人の長田弘が亡くなられたが、75歳とは若い。私も高校生時代は好きで、詩集も買っている。その後は、あまり好きでもなくなった。
その理由は、彼が書いた戯曲がまったく面白くないからである。晶文社からは、彼の戯曲集が出ていて、読んだがあまりピンと来なかった。
高校生だったので、舞台は見なかったが、大学に入って実際に見た人に聞くと相当にひどいものだったそうだ。
それは、早稲田大学の演劇研究会出身の村松克己、津野海太郎、東大劇研出身の山元清太、佐伯隆幸らが結成した六月劇場で、文学座研究生出の草野大吾や岸田森、悠木千帆らも参加していたはずだ。
六月劇場の長田弘作品では『魂へのキックオフ』が上演されたと思う。
津野海太郎の回想本では、その時、紀伊国屋ホールに、蜷川幸雄が見に来た。
彼も劇団青俳から新しい道を探している時で、津野海太郎や岸田森らとも交流があったとのこと。
その芝居が終わって出てくると、入り口で津野らに向かって蜷川は、「ケッツ」と言う顔をしたそうだ。
要は、「素人芝居」と言うことで、これは日本の近代劇では、小山内薫以来「プロを素人にするか、素人をプロにするか」の問題があった。
これは、蜷川幸雄のようなプロの劇団の人たちと、村松、津野のように学生劇団と言う素人とがすれ違った地点だった。
今や、日本演劇史にも文学史にも書かれていないことなので、あえて書いておく。
だが、六月劇場は、当時は結構注目された集団で、日活最後の映画『八月の濡れた砂』の広瀬昌助の他、松田優作も裏方でいたはずである。
1970年代までは、劇団はなくなっていたが、俳優事務所としては存在していたと思う。
この六月劇場は、佐藤信らの自由劇場と一緒になり、演劇センター・黒テントを作ることになる。
いずれも1960年代の話である。