日活の助監督で、その末期に『いじわる大障害』という喜劇で監督デビューし、その後のロマンポルノでも「海女シリーズ」を何本か作った藤浦敦へのインタビュー本である。
彼は、落語の三遊派の宗家の家柄で、父親の藤浦富太郎は、築地の青果市場の社長であった人物で、息子として日活の株を大量に保有し、倒産の時には、約40%、50億円もの大株主であったとのこと。
この本を読んですぐに思い出したのは、先日亡くなられた安藤昇の自伝であり、それによると東映の「やくざ映画」から松竹の「男はつらいよ」までのすべてのヒット・シリーズは、どれも安藤のアイディアなことになってしまうのだ。
だが、前に藤浦敦の大衆芸能の著書『三遊亭円朝の遺言』を読んだことがあるが、さすが本物で落語・三遊派の宗家の出だけのことはある。
なんといっても問題は、日活最後の作品『洛陽』で、もういずれ倒産するからと、自分が好きな映画を作ろうと『洛陽』を製作することになる。
一応監督は、原作の伴野朗となっているが、彼はもちろん何もせず、途中から藤浦が監督したとのこと。
横浜の日活会館で見たが、そうひどい出来ではなく、客も半分くらい入っていた。
だが、当時の首脳部の根本悌二、若松正雄らが、「藤浦の映画が大ヒットとなると彼が日活を完全に掌握するのはまずい」とのことで、大不入りで、日活の倒産の原因と宣伝される。
だが、本当はゴルフ場開発の失敗、負債の増大からによるものだったようだ。
ロマンポルノ時代の首脳部の葛藤も面白い。根本の他、監督から首脳になった樋口弘美らへの藤浦の批評は厳しい。
「黒澤満ら事務職上がりよりも、無能な助監督上がりの方がたちが悪かった」とは、言い得て妙である。助監督は、もともと監督を目指していていたので、野心の多いのも当然なのだ。
さらに鈴木清順や川島雄三への批評は非常に厳しく、鈴木の監督解任問題については、堀久作の方が正しいというのは、異色だが。
時代劇の神様伊藤大輔への心酔はすごいが、山中貞雄作品への言及も他にはないものだろう。
倒産直前のロッポニカへの変更は、根本悌二のやる気が失せて会長に祭り上げられ、社長になった若松正雄がポルノが嫌いで、日活末期のようなアクション映画を志向したが、まったく当たらなかったとのこと。
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