衛星劇場で、タイトルの最後の監督西河克巳と出たので、最後まで見るが、なんとも古くさい。西河の本によれば城戸四郎に褒められたとのことだが。下町の佃煮屋の親父の坂本武が、苦労して繁盛する店にし、息子の須賀不二夫に譲り、お汁粉屋の女水島光代のところに通っていると心配する子供たち。彼らは、坂本を桜むつ子の電気屋の店の二階に動かしてしまう。場所はよくわからないが、元の店は佃煮屋は浅草あたりだが、電気屋は江東区の端で、お汁粉屋からは遠いところなので、店に通わせなくするためらしい。桜の夫の電気屋は小林十二九で、まるで戦前の松竹蒲田の雰囲気。この店に二階の隣に、やはり息子増田順二の嫁との仲が悪いとのことで、おばあさんの高松栄子が来て住む。この人は本当におばあさんという感じで、歯が半分抜けていて凄い。桜むつ子の娘は野添ひとみで、ダンスやジャズが好きなようで、ここには三世代が出てくる。
結局、お汁粉屋の女には、若い男がいたことが分かり、坂本は騙されたことが分かって向島の離れに引っ越すことになる。故郷の新潟に行く予定だった高松も、この離れの別室に住むことになり、ハッピーエンド。今では、この高松と坂本の間に性的関係ができるか否かがドラマになるはずだが、この時代には高齢者のセックスはないので、全くその心配はない。
誠に古くさい映画だが、よく考えると、同じ1953年に松竹大船で作られた小津安二郎の名作『東京物語』との類似性を強く感じる。
一つは、世代の差の大きさであり、老齢化した親の居場所がないこと、そして生きがいの問題である。この時代、年金制度はないので、老齢化した両親には特別な蓄財をしていない限り、所得はなく、子の家に同居して生きていく以外にはなかった。
やはり、年金や健康保険などの福祉制度は、家庭の悲劇を減らしているのだ。
題名の嫁とは、須賀の妻の幾野道子で、宇野信夫の原作(多分劇団新派だろう)では、彼女の活躍が中心になっているのだと思うが。この人は、多少は西欧的な感じの女優だったので、全体の人間関係に対し中立的に見える。