大橋巨泉、死去

大橋巨泉が死んだ、82歳。多分、最初に知ったのは、NTVのジャズ番組の司会だったが、ラジオ関東の『昨日の続き』にも出てきた時だと思う。

ここには、先日亡くなった永六輔も出ていて、非常に面白い番組だったが、言うまでもなくトーク番組の魁である。

彼については、われわれの世代は映画『けんかえれじい』のマドンナ浅野順子を奪った憎い親父である。テレビで高橋英樹が、巨泉との交友を話していたが、これも『けんかえれじい』の縁だと思う。

大橋巨泉のテレビでの活躍については、誰もが知っているので書かないが、彼が2001年7月の参議員選挙に民主党から出た時のことにつて書く。

                         

私は、この投票日の2日前の金曜日に脳梗塞で倒れて病院に入院中で、選挙は棄権となった。

この年の4月に「自民党をぶっ潰す!」と言って橋本龍太郎に勝って自民党総裁になり、首相にもなった小泉純一郎人気が最高潮で、自民党は大勝した。

私は、病院のベットで結果を見て、「日本人はバカになったのか!」と思った。

このとき、自民党の比例区で第一位になったのが、舛添要一で、民主党は大橋巨泉、社民党は田嶋陽子だった。

中平まみや高橋三千綱なども出て、もちろん落ちたが、横浜市磯子区の太田正孝先生も、小沢一郎・自由党から神奈川選挙区で出て落ちている。

だが、私の子供二人は、「この大橋っていう人は誰? 大橋きょ・・・なんて読むの?」と聞いた。

中学生と小学生だった二人は、巨泉を知らないのだった。

確かに、21世紀になり、大橋巨泉はテレビにはレギュラーで出ていないのだから、若者が知らないのも当然だった。

因みに、巨泉とは俳号であり、早稲田大学時代の俳句会の同僚には寺山修司もいた。

1983年に亡くなっている寺山修司は、今も若者からも知られているが、大橋巨泉はどうなるのだろうか。

テレビ、ラジオ、ジャズ界に大きな足跡を残した巨泉の冥福を祈りたい。

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