東京の築地市場の移転問題は、何が正しいのかわからない。
ただ、はっきりしているのは、石原慎太郎が諸悪の根源である事だろう。
4期もやっていて、しかもあの強圧的な態度と物言いである。
副知事以下の者が、きちんとしたことを言えなくなるのは当然である。
横浜市も、高秀秀信市長は3期務め、3期目では、各局の係長でやっと知っているような些細な問題まで知っていて、予算の時期等にここ指摘されるので、幹部職員は皆参ったそうだ。
石原慎太郎は、そうした細かいことは熟知しなかったと思うが、あの状態で指摘されたら、誰も反論できなかったと思う。
こうした中で、豊洲への移転と土盛りの問題も進行してしまったのだと思う。
アメリカの大統領も2期、8年に制限しているのは、やはり正しいと思う。
曰く、長期になれば必ず権力は腐敗するのである。
その石原慎太郎を4回も当選させた東京都民が一番の責任があるということになる。
コメント
おっしゃる通り
あんなのを当選させた都民が無責任。だいたい都民はネームバリューばっかりに目が先行して政策なんておかまいなし。そういう私も都民で今年投票行きましたが。
ただひとつ。
石原慎太郎の高圧的な軍国的態度に負けず、彼に「NO」と言える、突きつけられる幹部なり職員なりが欲しかった。
私だったら言ってやる。
そもそも
豊洲に、東京ガス工場跡地に魚河岸を建てようと計画したのが杜撰。無責任。
変わらぬもの
石原慎太郎は、政治家の中でも、殿様然とした人でしょうね。技術的には素人が言を挟むよりも、専門家に任せた方が良いに決まっている。殿様とは、権威を保つ為に強圧的に出るのではなく、それが、政策に良い面があるから、口を出すものです。
豊洲の失策などは、彼が、実務に通じていない事を露呈したに過ぎないもので、本来、日本の政治家とは、官僚であったもので、古の殿様だからこそ、実務から入るべきだと思います。
尖閣の国有化は、日米安保の枠組み内、という、アメリカの支持を得られたという意味では良かったと思います。権力とは振るわねば、衰えていくものです。国を相手にする辺りは、傲岸であれど、喧嘩の強い首長が人気を博したのは、本来、都知事にはそれだけの力がある事を、示したに過ぎないと思います。小池百合子になった事は、本質的には都民が求めるものが、石原時代と変わっていない、という事だと思います。
皆、誤解しています
石原慎太郎は、殿様と言うよりは、やくざですね。
皆、誤解しているのは、彼の父親が外航船の船長と言うことで、外交客船の船長だと誤解していますが、彼は山下汽船で、貨物船でした。
具体的には樺太への木材船で、現地の木材の切り出しから運搬までを指揮していたのです。『蟹工船』の船長だったわけで、裕次郎映画で言えば、正義の味方ではなく、悪役の安部徹らの方だったのです。
一応、山下汽船の重役でしたが、慎太郎が大学生の時、急死してしまいまい、石原家は、急に貧困になってしまいます。「後出しジャンケン」に象徴されるように物事に慎重になったのは、この急な不幸から来ていると思います。
黒澤明のチーフ助監督を何度も務めた堀川弘通さんは、映画『危険な英雄』で、慎太郎を主役に使ったとき、「臆病と思えるほど慎重な男で驚いた」と書いていますが、当時はそうだったのだろうと思います。
尖閣国有化などは、もう滅茶苦茶になっていたというしかないでしょう。
あえて言えば老人の焦りでしょうね、総理大臣になれなかったという。
Unknown
国境に位置する尖閣諸島を、個人ではなく、国が管理するというのは当然だと思います。ただ、それを、大々的にやるのではなく、内密に進めるべきだったとは思います。
ないないにやるわけがないでしょうが。
慎太郎は、何とかのさいごっぺとして、ほとんどのやけくそで、都の所有を勝手にアメリカでぶちあげたのです。迷惑以外の何物でもなかった、国から見てもね。
いつも、スタンドプレーの男なのですから、内密にやるはずがありません!
こういう言い方は嫌いですが
隆さんへ
石原慎太郎は、今度は年齢等の理屈をつけて、都からのヒアリングを拒否しているそうですね。
殿様らしくない、やくざそのものの、卑怯さですね。
彼の性格は、臆病という堀川弘通さんの見方は正しかったことになります。
彼の本質が明らかになったというべきでしょうね。
さすらい日乗さん
正直、がっかりですが、殿様でも、戦国ではやくざとやっている事は変わりませんよ。暗黒時代ですから。
誰も責任を取らない、泣きを観て、スケープゴートにされような下っ端の市場長が居る。戦前からの、無責任主義というか、逆に、今回の逃避からは、誰が豊洲で最大の責任を負っているかが、明らかになったと思います。
家柄や背景で
人を決めつけるのはどうもよろしくないですね。
家柄は家柄、背景は背景。
ベストになるのもbadになるのも本人次第です。
父亡き後そういう境遇になって負けた慎太郎が悪いのですから。
私も人を出自で云々するのは
私も人を出自で云々するのは嫌いですが、石原慎太郎の言動を見ると、そう考えたくなるのです。
一方、石原裕次郎は、非常に人間性のある人で、その性で、今も彼を慕う人は多く、石原プロはまだ存続しています。
しかし、石原慎太郎は、中川一郎から青嵐会を受け継ぎますが、最後は誰もいなくなってしまうのです。
石原兄弟
管理人さん
お早うございます。
プロフィールで{日活映画の見すぎで横浜に}を目にし
それから慎太郎氏に対しての文を拝見していて
日活で活躍された裕次郎氏へは、どういう思いでおられたか興味がわいておりました。
追伸
ヒヤリングを拒否では
なぁんだ!こういう人だったの、
逆の立場だったら舌鋒鋭く絶対見逃さなかったのでは?
と感じた人が多かったと思います。
石原裕次郎は
石原裕次郎は、兄慎太郎とは違い、他人に気配りできる人だったようです。普通の人と、個人主義の芸術家との差でしょうか。
その証拠に、石原プロモーションは今もありますが、慎太郎は、中川一郎から青嵐会を受け継ぎますが、結局誰もいなくなります。
その意味で、個人プレーの都知事は慎太郎に合っていたと思うのですが、なぜか首相になることを諦めず、太陽の党を作って都知事にを辞任してしまいました。
人の心はよくわからないものです。
選んだ道が
小澤征爾氏が外国で活躍する前に 所属していた日本の楽団員から
ボイコットされた際は、慎太郎氏が小澤氏に
楽団員ゼロの場をバックに一人でうつむいている写真を撮って(撮らせて?)
マスコミ用に使うようアドバイスしたそうで、その結果同情が集まり
かなり立場が有利になった。と小澤氏の著作で読んだ記憶あります。
慎太郎氏は浅利慶太氏たちと、劇団四季を立ち上げたそうですが、
政治の道でなく、作家さんか、芸術関連にとどまっていたとしたら
どういう評価が与えられたでしょう。