これを見ていると、出光佐三は、いけいけドンドンの単純な男に見える。
だが、そうだろうか、あのような非知性的な男は、どうして出光美術館を作れたのだろうか。
また、彼の娘の2人は、共に前衛美術家と結婚しているが、どうしてなのだろうか。
家族主義経営を標榜していた彼の家庭は、男尊女卑の典型だったらしいが、そうした矛盾こそ本当は描くべきだったのではないかと思うが、全くそうした観点はなく、極めて単純化されている。
まるでやくざ映画で、良い組が悪い組に迫害されて耐えるが、最後は勝つというごく単純な筋になっている。
脚本・監督の山崎一は、1940年代のシーンに歌われる社歌の中で、「なんとかの、いきざま」と書いている程度の人間だから無理もないのだが。
生きざまは、1970年代頃にできた新語で、1940年代のシーンに出てくるわけもないのだから。
私が考えるに、出光佐三はかなり複雑な人物で、19歳の時に美術品のコレクションを始めたというのだから、凄い。
そして、三女は美術評論家の東野芳明と、4女の真子は、サム・フランシスと結婚していたのを見ても、それなりに美術に理解があった人間であることは間違いない。
ドラマとしては、ラストに出てくる、大叔母からのアルバムとして晩年の佐三に渡す黒木華の演技、それにタンカーの船長の堤真一にしか見れべきところはなし。
港南台シネサロン
コメント
2時間半には収まらない男
私の場合は、任侠映画以上のものを期待せずに観に行ったのでその部分だけを単純に楽しんで帰ったという感じです。それにしても出光佐三なる人物の多様性というかスケールの大きさというか調べれば調べるほど魅力的ですね。平凡な作家や映画監督にはとても扱える人物ではなさそうですね。何か人間の見方というものについて大きな宿題をもらったような気がしています。
海賊とよばれた男(2016)
北九州門司でその将来性に目をつけて石油業を興した国岡(岡田准一)は古くからの門司の業者に相手にされず、たたちまち苦境に立たされるが、小さな船で漕ぎ出して対岸の下関の……