高校時代に、永見という物理の教師がいた。物理は、法則と応用を教えればほとんど済むので、授業の大半は戦争の話だった。
彼は、肺が半分ないとのことで、はあ、はあ言いながら、戦争の話をしてくれたのである。
それはアレキサンダー大王の槍の戦隊、砲兵だったナポレオンの砲術等だった。
だが、彼によれば、日本の戦国時代等の戦闘については、きわめて厳しい評価で、
「ほとんど戦闘が行われる前に、話し合い等で推移が決められている」とのことだった。
確かに、その通りで、関ケ原でも、具体的な戦闘というよりは、徳川家康による、各大名への根回し、石田方から徳川方への寝返り、あるいは島津のように、何もせずに見ているだけで、戦いの帰趨が決まってしまったのだ。
永見先生は、こうした日本の戦闘のあり方に批判的で、実際の戦闘の歴史を持っていない日本は、太平洋戦争で負けたのだ、というご意見のようだった。
ご自分も陸軍航空隊にいたようで、戦闘機の急降下爆撃訓練で歯が抜けたとのことも教えてくれた。
あるいは、ノモンハン戦争での日本の97式戦闘機に対し、当初は一方的に負けていたモンゴル・ソ連の戦闘機がどのように勝率を上げていったかなど。
それは、一撃離脱で、ゼロ戦のはるか上空で待機し、来たら上から攻撃して、一撃したらすぐに逃げるという戦法で、ほぼ対等に戦うようにできたとのこと。
「へえ」と思ったが、この「強い相手に対して無駄に追うな」というのは、大学でサッカーの授業を受け、実際に試合をやった時にも注意されたことと同じだった。
と言うのは、授業の最後に模範試合をやり、そこにはサッカー部の若手が数人参加していた。
教師は、「彼らは当然球をキープするが、容易に近づいてはいけず、距離を置いて出方を待て」というものだった。そうしないと簡単に抜かれてしまうというのだ。
要は、強い相手にはいきなり接近するのではなく、じわじわと行ったほうが良いというものだった。
つまりは、野村克也ではないが、戦いは相手を見て、自分の能力をよく考えてやれ、ということだろう。
戦闘の歴史がないということは、日本人が平和愛好民族の証なのだろう。
その証拠に、将棋があり、取った相手の駒を生かして今度は自分の持ち駒として使えるというのは、日本独自のルールで、チェスや中国将棋などでもないものなのだそうだ。