午後、BSで『狂った果実』を見る。
たぶん、5回目くらいで、最初に見たのは、蒲田駅西口のパチンコ屋の地下にあった日活で、1970年代後半のロマンポルノ時代だが、旧作をときどき上映していた。
感想は、随分と暗い映画だなと感じた。
今回、久しぶりに見てみると、テンポが非常によく、次々と話が進んでいくのが心地よい。
中平康は、このころは本当にさえていた。また、全体の演技の軽さは松竹のものである。
古臭いと思われる松竹だが、松竹はもともとは映画製作を始めた時は、非常に新しい映画会社だったことを思い出した。
だが、この太陽族映画唯一の傑作の底流には、強い反米意識があることを感じた。
石原裕次郎と津川雅彦の兄弟は、鎌倉駅で会った北原三枝に一目ぼれし、最後はともに性交してしまう。
だが、20歳だそうだが彼女は、実はアメリカ人ビジネスマンの妻であることがわかる。戦後の日本の混乱期にいったい彼女はどういう人生を送りアメリカ人ビジネスマンの妻となったのだろうか。オンリーという言葉がすぐに思いつくが、それに近いのだろう。
だから、商売だけの性愛から離れて、津川とは初めての「愛にめざめた」というのは本当のことなのだろう。それまでは、兄の裕次郎も含めて肉体的な喜びだけの愛だったのだろうと推測される。
なぜ、このような女性を石原慎太郎が、想定したのだろうか。
戦前から、湘南には外国人が避暑に来ていた。
私も金沢区にいたとき、その地区の有力者の一人は、「自宅の離れを夏場には東京の人の別荘として貸していました」と言っていた。
冷房のない昔、湘南や房総への避暑は唯一の夏の快適な生活法だった。
戦後の米国の占領で、湘南には多くの外国人とそれに同伴する美しい日本人女性の姿が見られるたに違いない。戦前に、中国で日本人の長谷川一夫に中国人女優のはずの李香蘭が惚れたように、戦後の日本では美しい日本人女性がアメリカ人男性の妻となり、湘南の町を闊歩していたのだろう。
それは、若い石原慎太郎少年の心をひどく傷つけたにちがいない。
この辺が、後の石原慎太郎の反米主義、「ノーと言える日本」や横田基地の利用等につながるものとなるのだと思える。
ラストのヨットとモーターボート、日活映画の青春は、この作品で始まり、1971年の藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』のヨットで終わるのである。